タカギ君とピーター、美しき女の友情 そしてその顛末
ネパールにおける嫁





●嫁には財産分与を受ける権利はないのだった
ネパールの社会では、一般に男尊女卑の風潮が根強く残っています。女性は結婚して初めてひとかどの人間扱いされます。しかし、ネパールの法律には、女性に対する財産分与の権利については、「35歳まで独身の女性に限り、財産の分与を認める」としか記載されていません。ということはつまり、結婚してダンナの庇護のもとに入ったとしても、その家の嫁には、所有権を主張できる財産というものが一切ないということです。ほとんどの女性は20代前半までに結婚するわけだから、もう徹底的にネパールの女性は、経済的には奴隷状態なんだよなあ。


●ピーター=バウジュー=長男の嫁
ジュートネタで登場したピーター。ピーターとはネワール語で長兄の嫁のこと。ネパール語でいうならバウジュー。決して名前ではありません。本当の名前は「ナルミラ」。へえ、結構かわいい名前じゃないの。

ピーターが「長男の嫁」として嫁いできたのは今から19年前のこと。ピーター21歳の頃でした。今は18歳のリトゥ、17歳のバルサ(2人は女の子)、15歳のシーザン(男の子)のお母さんです。いわゆるお見合いで決まった結婚でしたが、それなりに幸せ、それなりに楽しい人生を過ごしているようです。「それなり」というのは余計かな。でもね、ピーターにはピーターの言い分があるみたい。


●ピーターのお仕事
ピーターの日々の家事労働は朝の掃除に始まり、11人分の昼食事作り、洗濯(これは週に1〜2度だけど)、4時のカジャ作り、そして再び11人分の夕食、キッチンの掃除で終わります。これにときどき、繕い物やお買い物なんかがはいります。専業主婦としてはあたりまえのことかもしれないけど、11人分って結構な重労働よ。月に2〜3度は実家に帰ることはあるけど、それ以外は、ほとんどの時間を家の中ですごしているピーター。タカギ君が、大学、お稽古ごと、小旅行にと、自由奔放に動き回るのを見て、時々ピーターが羨ましそうに言う。

「MICAはいいわねえ、自分の好きな時に好きなことができて」


●男・女 それぞれの言い分
ネパールの男達は、ネパールの女性のことを「食べ物と、おしゃれと、昼寝のことしか考えてない」という。これに対して女達は「男は、いつも威張りちらして、家では何にもしない」と責める。それぞれの言い分。すべては、女性が経済的に自立できていないことにあるのかしら、とタカギ君は思う。
女性が自己主張を始め自分の権利を追求しはじめたら、ネパールはネパールでなくなると、男たちはマジに考えているらしい。アメリカやヨーロッパ、日本並みの「ギスギスした世の中」になることに一番恐怖を抱いているのは、他ならぬ男たちだ。何年も外国で暮らしてきたピーターの義弟だってそういうこと言うんだぜ。アホらしい。外の世界で、なに勉強してきたんだ。ここんちの教育が特別なのか?見た目はチタンボディーのマックG4でも、中身は百円ショップの電卓並みということか。


●ピーターの鬱憤。愚痴ってもいいかしら?
ピーターの苦悩は19年間ひたすら胸の内に秘められていた(と、思う)。ピーターの世界はこの家の中だけ。そこで暮らすのは、ダンナの両親とその兄弟。時々訪れる2人のお姉さんもまた、よその家のお嫁さんで、ダンナの身内だ。とても愚痴れる相手ではない。何で自分ばかり、と思ったところでそれがネパールのスタイル。てこでも動かし難い現実。ああ、今すぐ誰かに聞いて欲しい、話したい、でも言えない、こんなこと。
そこに彗星のように現れたタカギ君! ああ、タカギ君! 貴女は異邦人。

タカギ君はこの家で、たった一人の赤の他人。しかも期間限定居候。ネパール語も少しは分かるけど、他の家族に愚痴がもれる心配はない。唯一の心配は、日本語に堪能な義理の弟にバラさないかどうか……。だからいつもピーターは最後に言う。「このことは弟には内緒よ」と。

ジュート騒動の触れ合いと、日々の家事をすすんで手伝うタカギ君に対して、ピーターの心が日々開かれてゆくのが手にとるように分かる。オオオ、ピーター!それって、愚痴ですね。今、まさに愚痴ってますですね。……そんな時タカギ君は、タルカリを刻む手を止めて言ってあげるんだ。「それぐらいしてくれてもイイのにねえ」「なんでまたそんなヒドイ仕打ちを」「男ってやーねえ」って。


●ピーターの愚痴 実例1
「手に届くカーテンは自分で外して洗濯できるけど、あなたの部屋のカーテンは高いところにレールがあるから外せないの。だから、取って、持ってきてよ、って言ったのよ。そしたらこう言うのよ、椅子に登って外せばいいじゃないか、洗濯はピーターの仕事だ、自分でやれって。ねえ、そのくらいしてくれてももいいと思わない?」


●ピーターの愚痴 実例2
「今朝、あたしの弟がマナカマナのプラサードを持って家に来てくれたのよ。せっかく遠くから持ってきてくれたし、お茶だけで帰すのもかわいそうだから、卵をだしてあげようと思ったのよ。(注*ネパールでは、お客さんに目玉焼きを出すのは、もてなしの気持ちの現れ)そうしたらここのお父さんたら、そんなことする必要ない、お茶だけで充分だっていうじゃない。卵をわけてくれないのよ。自分の身内が来たときは、かならず出すのに。」

ピーターの愚痴はいつも切実だ。だからタカギ君もつたないネパール語で応える。
そして最後にやっぱリピーターは「……でも、このことは義弟にはいわないでね。後で怒られるから。」って言うのさ。ああ、ピーター!タカギ君も女だ(いちおう)!言いたいけど、やめとく。


●「MICAだけが一人、この家の中で私の友達よ」
いつだったか、早めに夕食が終わった晩、おもむろにピーターがキッチンの掃除を始めた。タカギ君の他にはもう家族は誰もいない。タカギ君も部屋にかえろっかなー、と思っていたんだけど、床に水をまいて、たわしまでかけはじめたもんだから、なりゆき手伝わざるをえない状況に。すっかり終わって、さて、お互い部屋に帰ろうか、という時になって、ピーターがこう言ったのさ。

「MICAだけが一人、この家の中で私の友達よ。」

おかしくて、哀しい言葉だったよ。

(誤解の無いように言っておきますが、ピーターは、本当にただ愚痴を言っているだけであって、タカギ君に聞いてもらえるだけで満足みたいです。マジで不満を言っているわけではありません。念のため。)



●しかし、最後にこれだけは付け加えておこう。
……と、ここまでは、1999年ホームステイ当時の心暖まる交流記である。タカギ君は諸般の事情から、ここを出て2000年5月から独り暮らしを始めたが、ホームステイ先での最後は結構悲しいモノがあったね。

自分の荷物の中から、日本食の調味料のストックを気前よく提供していたのだけど、一人暮らしするとなっては、もはや人のことなどかまってられない。タカギ君は台所に放置してあった日本食を自分の部屋に引き上げた。すると、ピーターが「MICAのマチャコマサラ(だしの素のこと)はもうないの?」と聞く。「私も独り暮らしをするから、もう自分の分だけしか残ってません。ごめんね」とタカギ君。……しかし、このやりとり、2〜3日おきに引越しの前日まで続いたんだよな。当時ここの家の人は、タカギ君の提供した、だしの素と味覇(ウェイパァー)なしではタルカリが食えないくらい日本の調味料好きになってしまっていたのは事実だ。しかし、タカギ君が家を出て行くことになったとたんに、タカギ君は単なる「マチャコマサラの人」になってしまったようで悲しかったよ。

「ピーターの義弟は今日本にいるんだから、弟か弟の奥さんか、どっちかに頼んでマチャコマサラ段ボール一箱くらい送ってもらえばいいじゃない。そしたら私もひとつ分けて欲しいな」とタカギ君がいうと、
「そんなこといったら怒られちゃう。特別なマサラ無しにはタルカリも作れない嫁なのかって。いいの、MICAにちょっとだけ残っているのなら、ちょっとだけ分けて欲しかっただけだから。」

残ってるかッテーの! あったとしても、おたくの1週間分は私の1カ月分だよ。


●くり返される歴史?
このように、嫁はいつも「そんなこといったら怒られちゃう……」とおびえながら、日々の発言を飲み込んでいるらしい。そして、次に新しい嫁がこの家に入ってきたとき、兄嫁の長い長い苦難の歴史はついに終わりを告げるのだ。ついに私も嫁いびりできるゾー!。……ってな想像をするのは意地悪ですかねえ。