1年目:マヌーツェ北東稜作戦(Manutse 7128m)
スタート時点では8人しか隊員がいないので、新規隊員募集で人手不足を解消します。
どうしようもないクズしか来ないこともありますが、私の人望もあって初年度にしては比較的良好!
22人の応募者中、女性隊員が3名も!!しかも一人は金髪!!!!!!
でもよく見たら40歳越えたおばさんだった・・・・・メジャーで通用しなくなったので、日本で最後の一花というやつですか・・・
(そこまで枯れてたらもう咲かないと思います・・・)
14名を採用して総勢22名、ベテランから若手まで満遍なく揃った良い登山隊ができました。
女性隊員を全員雇ったのは言うまでもありません!冬山ではおばさんでもそれなりに見えるのです!!
(初期から居る藤田隊員には到底かないませんが・・・)
隊員も揃ったので登山計画を立てましょう。「最初からK-0目指す!」は死刑宣告と異音同義語ですからやってはいけません!
では何処へ?・・・タイトルが「1年目:マヌーツェ北東稜作戦(Manutse 7128m)」ですから、当然そこに決まってます!
カムコルス山脈の山々では南面に日が当たり雪崩が起きやすくなっています。十数年間、チマチマこのゲームをやってきた私の抱える最大のトラウマは、雪崩です!!最初から雪崩が起きやすいところなんて登る気がしません!(というか登りたくない・・・)
それ以外にも、山頂は駄目でも双子岳のリーツェ峰に登って満足して帰るという気休め効果もある優れたルートなのです。
青のルートを目指しますが、1年目の隊員達にはここで書いてる数以上のキャンプが必要になるでしょう。
装備品はこんな感じで、いよいよ出発!!
(よく考えたら登壁セットいらんかった・・登る気ないし・・・)
成田から飛行機に乗ってカムコルスへ向かうわけですが、ゲーム時間の都合上、1分以内にBC設営までが完了します。
フライトを楽しみたい方は、フライトシムで続きをどうぞ!(@w@)/(目的地は自力で探してください)
すぐにでも登山を開始できますが、初期の隊編成はオバカなPSが適当に割り振っただけなので、修正する必要があります。
今回は以下のような隊編成で臨むことにする。
第1隊:5名編成
隊長:岡部康博(A),久津見晶弘(AA),三輪和也(B),藤田桂子(B),別所勇一(B)
第2隊:5名編成
隊長:内野光輝(A),松永裕樹(B),岩尾徹史(B),大浜順二(B),白井寿士(B)
第3隊:6名編成
隊長:水沢幸彦(B),木戸芳樹(C),持田克則(C),北岡順二(C),成瀬孝二朗(C),小野寺康志(C)
第4隊:6名編成
隊長:桂喜美雄(C),Caroline.H(C),内山猛(C),洞口美子(D),望月喜代(E),大横英世(E)
( )内は登山家としてのランク
第1隊はルート探索,第2隊はルート工作をメインに活動し、他の部隊は運搬役に徹する仕様。
ランクC以下の隊員は怖くて稜線より上には行かせられない・・・第4隊なんてBC専属のまかないさんでいいぐらいだ・・・
6月1日
隊編成も終わっていざ活動開始!と思った瞬間・・・Cランク隊員のお守りを任された水沢隊員がいきなり体調不良・・・
そうか・・・そんなに頂上行きたいか・・・・でも・・・
お前は絶対登らせんっっ!!!(@m@)
6月2日
気を取り直してチマチマとルート探査&ルート工作を繰り返す。最初は標高が低いし、雪崩・落石・滑落の心配もあまりないので、訓練代わりに第3、4隊にもルート工作を一部手伝わせる。
・・・が望月隊員が2日目に体調不良でダウン・・・水沢の馬鹿よりはマシとはいえ早すぎない・・・?
第1隊がキャンプに最適な場所を見つけたので、明日C1作るかな。
6月3日
第3隊にキャンプ設営させつつ、第1,2,4隊はルート探査&工作を繰り返す。
望月隊員、早くも復帰・・・水沢はまだ寝てやがる・・・
6月4日〜8日
4日にようやく水沢復帰も、望月再びダウン・・・6日に復帰・・・7日にダウン・・・
お前、山に通うより病院通った方が良いんじゃ・・・・・
稜線に出るルートを色々探してみたが、やっぱり壁はまだいやなので、雪崩の危険があるルートで稜線へ出ることに・・・
明日、稜線出てすぐの所にC2作ろう。
6月9日
C2設営&資材搬入途中に、第1,2隊員に高度障害が出たため、BCへ帰還させる。
第3,4はBCからC1へのピストン搬送。
キャロライン体調不良でダウン
6月10日
第1,2隊とも1日で回復したが、稜線では30m/sの風が吹いてるので、全部隊でBC→C1への物資輸送のみで1日終わる。
洞口,桂,北岡隊員、体調不良でダウン
6月11日
今日も風がやまない・・・作業は昨日と一緒。
大浜ダウン、キャロライン,望月復帰
6月12日
ルート探索中の第1隊がリーツェ峰に到達!
第2隊はC1→C2、残りはBC→C1の物資輸送に専念する。
洞口,北岡復帰・・・隊長やってる隊員の復帰が遅いなぁ・・・やっぱりストレス?
6月13日〜15日
第1隊で稜線上のルート探索&工作を行い、第2隊でC1→C2への搬送作業。残りはBC→C1の搬送に従事する中、遂に恐れていたことが!
・・・が大事に至らず一安心。結局、今回の作戦で雪崩に遭遇したのはこの1回だけ。奇跡だ!!
15日には全員回復する。
6月16日〜17日
稜線上を風速40m/sの風が吹き荒れ、作業は全く進まず。
BC→C1の輸送ももう必要ないので、この2日間全部隊が待機。
まあ、頂上直下付近までルート探査は進んでいるので楽勝?
6月18日
風が止んだので、第1隊で確定ルートの工作を行う。第2,3隊でC2→C3への物資輸送。
しかし、午後に入って再び風が強まり、第1隊に帰還命令出すも強風下で移動速度が低下し(しかもリーツェ越えだし・・・)、日没後に風速30m/sの風の中、ようやくC2に辿りつく。隊員の半数が凍傷に・・・滑落死しなくてよかった・・・
予定を変更し、リーツェ峰を越えてすぐの所にC3を、頂上直下にC4を設営することにする。
喜代・・・4度目のダウン・・・もうどうでもいいよ・・・お前・・・
6月19日
凍傷の出た第1隊をBCへ帰還させ、代わりに第2隊をあげる。
稜線上は終日20〜30mの風が吹いているので、怖くて作業できない。
何名か体調不良者が出るけど、もう書くの面倒くさい(w
6月20日
第2隊でC3設営。C2→C3の物資輸送も第2隊で。第3隊がC2→C3の輸送を担当。
凍傷の癒えない第1隊はBCに残し、第4隊で不要品をBCに戻す作業を始める。
6月21日〜25日
そろそろ7月のモンスーン期が近づいてきたせいか、風の止む日がない。
だましだましルート工作&探査を続けて、なんとか頂上直下までのルート工作を終わらせる。
この期間、稜線上で活動した第1,2隊に高度障害が出たので何度かBCに戻すが、第1隊隊長の岡部をはじめ、ランクBの隊員が次々と体調不良で倒れたため、隊の編成をやり直す。
第1隊:3名編成
隊長:久津見晶弘(AA),白井寿士(B),松永裕樹(B)
第2隊:5名編成
隊長:内野光輝(A),大浜順二(B),別所勇一(B),三輪和也(B),藤田桂子(B)
3人編成はあまりやりたくないけど、途中で何名か復帰することを期待してこの編成。
頂上へのルートはいまだ見えない。
6月26日
第2隊でC4設営。第1隊はC3で待機させる。
回復した岡部,岩男隊員を稜線へ向かわせるがC2到達したところで、岡部が再びダウン・・・
そうか・・・そんなに登りたくないかぁっ!!(@mT)
キャンプ設営完了後、ルート探査を行っていた第2隊が遂に頂上へのルートを発見!!
・・・が隊長の内野が軽度の凍傷を負ってしまう。
6月27日
食料はすでに1週間分を切っている。風で立ち往生することを考えたら天候の良い今日中にアタック済ませて帰りたい。
内野隊長が凍傷を負っているのが心配だが(凍傷が中度以上になるとその場所より標高の高い所には移動できなくなる)、ここは隊員を信じて任せるしかない。
朝一番の通信でアタック開始を指示し、手負いの第2隊は6月27日午前6時00分、頂上へのアタックを開始した。
・・・そして・・・
途中で全員が軽度の凍傷を負ってしまうが、マヌーツェ初登頂見事成功!
その後は、登頂に成功した第2隊はC3へ戻し、第1隊をC4へ入れ、すぐにアタック開始の指示を出す。
第1隊も成功!!
順調すぎてなんか最後に起こりそうで怖い・・・・
第1隊はC4に残し、天候がよければ回復した岩男隊員を加えて明日もう一度アタックしてみよう。
6月28日
午前中は若干風が出ていたため、岩男隊員を加えたアタックは午後に延期して、これも成功!
6月29日
風のない日が続いて助かる。第1隊にC4撤去の指示を出し、C3へ移動させる。
C3に控えていた第1隊をBCへ戻す。他の隊は帰り支度の運搬業務に従事する。
6月30日
C3,C2とキャンプ撤去作業を終える。
明日にはC1を撤去して、日本へ還れるだろう。
6月31日
C1の撤去を完了し、マヌーツェを後にする。
グレスポ新聞