2年目:マヌーツェ北西壁作戦(Manutse 7128m)

 今年もマヌーツェへ。
まさかの時の救援隊のことも考え、AAクラスが3隊できるまではダウラチェンリへは行かないつもり。
それ以降の山々に比べるとたいしたことない山だけど、ランク低いと凍傷・高度障害でバタバタするし・・・大概、そういうタイミングで雪崩来るし・・・・・

 新人3人を加えて隊員数は作戦参加可能な人数の上限25名になった。
今回も南側をさけて北西壁方面から稜線へでるルート(緑)を目指したのだが・・・



 今回の部隊編成は次の通り。
 第1隊:5名編成(探査)
  隊長:岡部康博(A),三輪和也(AA),久津見晶弘(S),藤田桂子(A),岩尾徹史(A)

 第2隊:5名編成(ルート工作)
  隊長:内野光輝(AA),松永裕樹(A),別所勇一(A),大浜順二(A),白井寿士(A)

 第3隊:5名編成(汎用)
  隊長:水沢幸彦(A),木戸芳樹(B),持田克則(B),成瀬孝二朗(B),江藤涼(B)

 第4隊:5名編成(汎用)
  隊長:小野寺康志(B),Caroline.H(C),北岡順二(C),辰巳辰也(C),川島浩二(B)

 第5隊:5名編成(運搬)
  隊長:桂喜美雄(C),内山猛(C),洞口美子(D),望月喜代(D),大横英世(D)

 ( )内は登山家としてのランク

6月1日〜3日

 2年目は隊員の成長もあって、サクサク進むが2日目でまたしても岡部がダウン・・・
あんた、そんなに体弱かったっけ・・・?



 3日目にはC1候補が複数見つかるが、ルートで悩む。
当初の予定では一番左のルートだけど、どうみてもこの前登ったルートに途中で合流しそう。
右の二つは途中に傾斜の緩いとこがあって、ここでなんか一休みできそうな気がする。
それにどうみても左側の方が山が白い=雪が多い=雪崩くるっ!!(@m@)



 というわけで、今回はより雪崩の危険が少ない真ん中のルートを選択してC1設営。

6月4日〜6日

 何カ所か壁が見つかるがそんなに長さも角度もきつくないので、順調にルート探査&工作が進んでいたのだ・・・が!

6月7日〜8日

 7日目に運搬作業中の第5隊員が滑落!
幸い大事には至らなかったものの・・・BC帰還早々1人が体調不良でダウン・・・



 やっぱりお前か!落ちたのは・・・・

 壁が嫌なタイミングでちょこちょこ出てくるので、C1から近いけど壁を越えた先の安全地帯にC2設営して8日目終了。

6月9日〜12日

 強風で作業がほとんど進まない。BC→C1,C1→C2の運搬作業に従事する。
10日には落石で第1隊にけが人が出て肝を冷やす・・・幸い軽症で帰還先のC1待機中に回復。


6月10日〜14日

 頂上近くまで探査が進むが、アタックキャンプを設営できる場所がない・・・何処も落石or雪崩の危険アリ・・・・
素直に左のルート行っときゃよかった・・・・・・・・

しょうがないので最も安全そうな場所にアタックキャンプ(C3)を設営する。
あわよくば第4隊まで登頂させようかと思ってた(第5隊は論外)けど、ちょっと無理だなぁ〜

6月15日

 C3にいた第2隊が頂上へのルートを発見!
隊員が成長すると進行が早い。第2隊を一旦C3へ戻してアタックを指示!



 6月15日 09時07分 第2隊 マヌーツェ登頂成功


 第2隊のアタック開始と同時にC3へ向かわせていた第1隊をそこに滞在させ、第2隊はC2へ帰還させる。
第2隊がC2付近に来たところで、C2待機中の第3隊をC1へ戻して、本日の作業終了。
今回、高度障害はほとんどでない。隊員の成長もあるけど、C3探しに手間取ったから、その間に順応したみたい。

6月16日

 朝一番に第1隊へアタックの指示を出す。

 6月16日 09時51分 第2隊 マヌーツェ登頂成功


 前回同様、第3隊を入れ替わりでC3へ向かわすが・・・木戸隊員が途中で高度障害・・・
6月15日に言ったことは忘れてください・・・第3隊をBCへ戻す・・・・・・
アタックが終了した第1隊をC2へ戻し、第2隊はC1へ移動。
 夜半・・・C3で雪崩・・・しかも2回も・・・安全度87で2回来るか・・・・?(@wT)

C3壊滅・・・もう帰れということか・・・・?

6月17日

 登りたくない木戸はBC放置で、第3隊に川島隊員を編入してC2へ向かわせる。
安全度87で2回来たなら、もう予定数終了だろうということで第1隊をC3再建へ向かわせる。
ここ数日、雪降ってないし、もう来ないよ・・・・ね・・・?

6月18日

 第3隊をC3へ向かわせ、少し遅れて第2隊をC3撤去に向かわせる。第1隊はC2へ。
C3到着後、すぐにアタックの指示を出し・・・

 6月16日 11時00分 第3隊 マヌーツェ登頂成功


 第3隊はC2へ帰還させ、これで撤収のはずが・・C3撤去作業中の第2隊をまたしても雪崩が・・・・
第2隊は負傷者が出た上、帰還ルートを見失った状態・・・つまり・・・

遭難!!!(@m@)

 やっぱりあの時、帰ればよかった・・・・
すぐに第1隊を捜索に向かわせるが・・・折からの強風で立ち往生・・・万事休す?(@へT)

6月19日

 ビバークでなんとか耐え忍んでいる第2隊だが隊員は中度の凍傷にかかっており、このまま放置すれば死・・・・



朝一番に再度、第1隊を捜索に向かわせるが風が・・・・・・



 二次遭難が怖いのでしばし待ち・・・昼前には風速が20m/sを切ったので、捜索再開の指示を出す。
午後にはC3に到着し、第2隊の捜索を開始する。探すこと1時間あまり・・・

  第2隊を発見!!

第1,2隊を合流させ、移動速度を調整の上、とりあえず一張だけ残ったテントへ避難させる。

C3はまた雪崩が来る可能性があるが、けが人抱えて夜中に降りるのはもっと危険・・・
何事も起こらないことを祈りつつ、次の日へ・・・

6月20日

 全部隊を動員して、負傷者をBCへ戻す。大浜隊員が重症で病院へ運ばれることに・・・・



 他の隊員はなんとか活動を続けられそうだが、もう帰りたい・・・(@wT)

6月21日〜23日

 が・・しかし・・・ゴミ放置で帰ると、わけのわからん団体に起こられるので、撤収作業を開始する。
これで誰か死んだら、その団体のせいということにしておこう。
風が強く上へ登りたくない&能力の高い隊員のケガ回復待ちのため、C2までの撤収作業に従事する。

6月24日

 怖いけど・・精鋭部隊を編成して、一張だけ残ったC3を撤去。別部隊でC2も撤去。

6月25日〜27日

 なんか工作セットがやたら余ったので、BC近辺の別ルートで若手隊員に探査&工作訓練をやらせる。
26日にはC1も撤去
物資余らせても怒られるのです・・・・(@wT)

6月28日

 工作セットもほぼ使い切ったので、BCをたたみ日本へ帰還する。


教訓


安全度100%以外は絶対信用しないっ!!!(@mT)


 
日本へ帰る途上、別所隊員から引退の申し出が・・・




 
長い間といわれても、あんた去年入ったばっかりだから、よう知らんし・・・




 
探査能力が高いのちょっと痛いかな?


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