4年目:マヌーツェ南西面作戦(Manutse 7128m)
2名の死者を出した南東面へリベンジ!
ただし、クロワールは避けて西稜へ・・・季節も10月に変更。
第1隊:5名編成(探査)
隊長:岡部康博(S),三輪和也(S),久津見晶弘(S),藤田桂子(AA),岩尾徹史(AA)
第2隊:5名編成(ルート工作)
隊長:内野光輝(S),松永裕樹(S),白井寿士(AA),水沢幸彦(AA),持田克則(A),
第3隊:5名編成(汎用)
隊長:小野寺康志(A),川島浩二(A),成瀬孝二朗(A),江藤涼(A),内山猛(B)
第4隊:5名編成(汎用)
隊長:Caroline.H(B),竹森友彦(B),北岡順二(B),辰巳辰也(B),風見章治(B)
第5隊:5名編成(運搬)
隊長:桂喜美雄(B),洞口美子(C),望月喜代(C),大横英世(C),波田遥(D)
( )内は登山家としてのランク
10月1日
なにがなんでも登頂じゃいっ!(@m@)
・・・が・・・しかし・・・初日から・・・
なんなんだ・・・・
幸い大きなけが人もなく、昨年、稜線までの探査は終わらせていたので初日にはもうC1設営。
10月2日〜5日
・・・が・・・またしても、しかし・・・
稜線上は強風が吹き荒れ、作業が進まない・・・・・
そんな中・・・望月喜代ダウンというお約束のイベント後、
その翼ください・・・・
私なんてIMSの評価では、「蚊」だよ!「蚊」っ!!
蚊の羽でどうやって8000m上まで行けと言うんだ・・・
10月6日〜8日
強風による作業中断を挟みつつ、8日目には西稜岩峰群手前にC2設営。
岩峰越えするとまた滑落するのがでてきそうだから、迂回するルートを探しつつ進むことにする。
10月9日〜14日
依然として強風の間隙をついての作業を強いられるが、13日目には西稜岩峰群を越えたところにC3設営
頂上までは後わずかなので、ここがアタックキャンプになるだろう。
風も収まってきたようなので、ここから先は早そうだ。できれば第4隊まで登頂させたいなぁ〜
10月15日
第1隊が頂上へのルートを見つける。C3へ戻してアタックの指示!
10月15日 11時13分 第1隊 マヌーツェ登頂成功
10月16日
第1隊をC1まで戻し、第2隊をC2,第3隊をC3へ。C3到着を待ってアタックの指示を出す。
10月16日 14時37分 第3隊 マヌーツェ登頂成功
10月17日
第2,第3隊を入れ替え、アタックを指示。
10月17日 12時08分 第2隊 マヌーツェ登頂成功
10月18日
第4隊をC3へ向かわせ、C3到着と同時にアタックを指示。
10月18日 11時21分 第4隊 マヌーツェ登頂成功
第5隊でお守りを担当している桂隊員もご褒美に登頂させてあげようと思い、第2隊に編入しC3へ向かわせアタック開始
・・・が・・・登頂途中で桂隊員が高度障害に・・・しまった・・・順応まだだった・・・
10月17日 16時08分 第2隊 マヌーツェ登頂成功
明日、すぐに下山させよう。
・・・ところが・・・
10月19日
夜半から吹き始めた風が40m/sを越える・・・
とても移動できる状態ではない・・・全部隊待機の指示を出す。
同日午後、桂隊員が中度の高度障害に陥る・・・誰かこの風なんとかしてくれ・・・
10月20日
風は止む気配なし・・・風速50m/sを越える。今日も下山は無理そうだ・・・
午前中には桂隊員の症状がさらに悪化・・・重度の高度障害に陥る。
10月21日
風が止み始めた10月21日未明 桂 喜美雄隊員 死去 享年27歳
・・・すまん・・・
風速が10m/sを切ったところで、第2隊をC2へ向かわせる。・・・しかし・・・
西稜岩峰群で滑落し遭難・・・
合流させるため、すでに第2隊の方へ向かわせていた第1隊が程なく発見。第3隊も合流させて、遺体&負傷者をBCへ降ろす。
重傷を負った、松永・小野寺隊員を病院へ搬送・・・もう・・いや・・・(TへT
10月22日〜23日
風が吹き荒れ何もできない・・・
10月24日
C3撤去
10月25日
C2撤去
10月26日
26日にようやくC1を撤去。日本へ帰る。
2年連続で死者を出してしまった・・・第5隊にいたんだから、高度に順応してないのはわかりきってたのに・・・