氷河に促されて メインテーブルから離れた場所にあるソファに移動した瞬は、そこで、普通のバースディパーティーはこういうものなのだろうかと疑うことになったのである。
アテナのドレスを気にして それなりに力をセーブしているらしい星矢と兄は、新愛の情を示す行為としては あまりに激烈なじゃれ合いを続け、紫龍はアテナのすぐ横に立ち、万一 何かが飛んできた時、その飛来物を確実に受け止めるために全身を緊張させている。
これは、はたして、バースディパーティーとして一般的な光景なのだろうか――。

「あれ、楽しそう……って言っていいのかな」
「まあ、星矢は、おまえを別にすれば一輝のいちばんの お気に入りだから、あの二人はあれで一応 楽しんでいるんだろう。俺には理解できない楽しみ方だが」
「うん……」

確かに、彼等は楽しそうだった――傍から見ると喧嘩にしか見えない じゃれ合いを続けている星矢たちは、その表情も仕草も これ以上はないほどの生気で満ち満ちている。
だから、瞬は、出席者が楽しんでいるのなら、それがパーティーの光景として普通なのか普通でないのかは大した問題ではないのだと 思うことにした。
そういう視点に立ってみると、瞬はむしろ、今の氷河の心情の方が気になってきたのである。
氷河は、決して 楽しくなさそうではなかったが、かといって特に楽しそうな表情を浮かべているわけでもなく――つまりは、ほとんど無表情で瞬の前に立っていたのだ。

「ちょっと意外だった。僕、氷河はこういうの好きじゃないんだと思ってたんだ。『誕生日がきたからって、急に人が大人になるわけでもなければ、突然人間的に成長するわけでもない。ゆえに、誕生日なんてものには何の意味もない。バースディパーティーやプレゼントは虚礼にすぎない』っていうふうに考えてるのだとばかり――」
探るように――少し氷河の口振りを真似て そう言ってから、瞬は氷河の顔を見上げた。

そういう考えでいるのだとばかり思っていたのに、氷河はそのパーティーの開催に協力した――少なくとも、水を差すようなことはしなかった。
その上 彼は、わざわざ どこにいるのかわからない兄をおびき出すようなことまでしてくれたのだ。
瞬はもちろん、氷河の厚意が嬉しかったが、同時に彼の行為がひどく意外でもあったのである。

「もちろん、そう考えている」
てっきり否定に類する返事をもらえるだろうと思って告げた言葉に、予想していたものと全く違う答えが返ってくる。
氷河のその短い答えに少なからず驚いて、瞬は 幾度か瞬きを繰り返すことになった。
「え……? なら、なぜ――」
「それは――」
氷河は、それ・・を瞬に告げてもいいのかどうかを迷っているような素振りを見せた。
短い間をおいてから、やがてゆっくりと口を開く。

「俺が今、自分を幸せな人間だと思っているから――かな。俺は、以前は、自分を幸福な人間だと思えるような時がくるなんてことは考えたこともなかった」
「氷河……」
かつての彼がそういう考えに囚われていたと告白されても、瞬はあまり驚きを覚えなかった。
親しい者たち・愛する者たちを、氷河はあまりに多く失いすぎたのだ。
彼の瞳は、今は晴れた夏の空の色をしているが、以前は冷たい氷の色をしていたことを、瞬は憶えていた。

「おまえが生まれてきてくれなかったら、俺は今 幸福でいられなかっただろうから」
「ぼ……僕?」
「俺が今 幸せな人間でいられるのは、おまえに出会えたからだ。俺たちがおまえに出会えた世界があって、今に至る時間があったから」
いったい いつから、氷河の瞳はこんなふうに明るい輝きを宿すようになったのだったろう――?

「俺はおまえや星矢たちに出会えずにいたら、今でも、いつまでも、自分は不幸で不運で孤独でみじめな人間だと思っていたかもしれない。そうなっても何の不思議もなかったんだ。だが、そうはならなかった」
瞬が氷河と分かち合うことができたのは、つらく苦しい戦いの時だけだった。
「これは一つの奇跡だと思わないか。俺たちが今まで生きてきた人生の何か一つが違っていたら、俺たちはこうして出会うことはなかったかもしれないんだ」
だが、氷河の瞳は、そんな戦いばかりの時間の中で、いつからか少しずつ変わってきたのだ。
そして、いつのまにか すっかり違うものになってしまっていた。

「おまえに両親がないこと、俺のマーマが死んだこと、幼い子供たちを集めて聖闘士に仕立て上げようなんて馬鹿な考えを城戸光政が思いついたこと。もっと遡って、地球が存在すること、そこに命が生まれたこと、宇宙が今あるように存在すること――そのすべての条件が揃ったから、俺たちはこうして出会えた。おまえの兄が帰ってこなくていい時に帰ってくる不粋な男だということも、俺たちが出会うために必要な条件の一つだったのかもしれない。何か一つが違っていたら、今の俺の幸福はなかった。そう考えたら、少々 拗ね者の気のある俺でも、この世界というものに感謝したい気分になる。それこそ 今の世界を作っている何もかもすべてにだ。だが、この世界のすべてに礼を言ってまわるのは無理なことだし、面倒だから、それらすべてのものの代表であるおまえに、『生まれてきてくれてありがとう』と礼を言うんだ。誕生日ってのは、そういうものだろう」

「氷河……」
瞬は、いつも誰かのために生きていたい人間だった。
戦いの場で、自らの勝利を欲したことはない。
戦いとは無関係な場所でも、自分のために何かをほしいと願ったこともない。
だからこそ、瞬は、氷河のその言葉が嬉しかったのである。
瞬が望むことは いつもみんなが――自分以外の誰かが――幸せでいてくれることだったから。

「俺がそんなふうに思えるようになったのも、俺がおまえに出会えたからなんだ」
あまりに望み通りの言葉を贈られて、瞬の瞳が涙で潤んでくる。
「あ……ありがとう は祝ってもらった側の人間が言う言葉でしょう」
朱の色を帯び始めているに違いない目を氷河に見られてしまわないように、瞬は僅かにその顔を俯かせた。
「そんなことはない」
「僕がいることで、氷河が少しでも幸せでいてくれるなら嬉しいけど」
「おまえがいるおかげで幸せになれているのは、俺だけじゃないだろう」
氷河がそう言って、旧交を温め合っている(?)瞬の兄と彼の仲間たちの上へと視線を巡らせる。
瞬は、氷河の視線の先を追うことになった。

そこでは、このバースディパーティーの企画立案者であるところの星矢が、ケーキを頬張りつつ、同じものを瞬の兄に食させようと元気に奮闘していた。
そんな星矢の脇では、星矢にいいように弄ばれている一輝に同情したような顔をして――だが、隠し切れない笑いを口許に刻んで――紫龍が烏龍茶をデキャンタからグラスに注いでいる。
「これが私の家で催されているパーティーだなんて信じられないわ。品位も何もあったものじゃないじゃないの」
アテナの聖闘士たちの、到底 華麗とは言い難い振舞いを情けなさそうに嘆いてみせている沙織も、その言葉とは裏腹に結構楽しそうだった。
彼女の顔と瞳には、少なくとも1週間前のパーティーで彼女が作っていた微笑より はるかに自然な笑みが浮かんでいる。

弟の側に行きたいのに星矢に解放してもらえずにいる一輝だけが、今ひとつ 幸福とは縁遠いところにいるようだったが、その彼とて、人生に絶望しているようには見えない。
それどころか彼は、その場で最も盛んに気炎を吐いている人間だった。
「瞬。その大馬鹿野郎の口車に乗せられるなっ! その馬鹿は、おまえ好みのセリフを並べ立てて、おまえの気を引こうとしているだけだ! 思ってもいないことを べらべらまくしたてて、その実、その助平野郎は、おまえさえいれば他の奴等は死のうが生きようがどうでもいいと考えている とんでもない冷血漢なんだ、騙されるなっ」
愛する者がいる限り、人は絶望とは無縁の人生を生きることになっているらしい。
一輝の血気と覇気は、ひたすら最愛の弟の身を案じるがゆえに生じてくるもののようだった。

「兄さん、なんてこと言うんです!」
兄が元気でいることは嬉しいが、その元気が仲間を侮辱するために用いられることは、さすがに素直に喜べることではない。
兄の放言に氷河が気を悪くしたのではないかと案じて、瞬は氷河の顔を上目使いに覗き込むことになった。
彼は幸い、瞬の兄の言葉に立腹した様子は呈していなかった。
だが、氷河は、瞬の兄の言葉を否定する素振りも見せない。
だから、瞬は、少々困惑することになったのである。
瞬の視線に気付くと、氷河は捉えどころのない微笑を瞬に向けてきた。

兄の言う通り、彼はその視界にただ一人の人しか映していないようにも見えた。
彼が、本当に、今日 誕生日を迎えた人間の後ろにある多くの命や時間を見ているのかどうか、あるいは見ていないのか――は、氷河ならぬ身の瞬には判断ができない。

彼が『すべてのものに感謝している』のは真実かどうかを確かめようとしたら、氷河は、仲間に疑われたことに腹を立てるだろうか――?
そう考えて、瞬は、氷河の真意を確かめることをためらうことになった。
そんな瞬の機先を制するように、氷河が静かな声で告げてくる。
「瞬。生まれてきてくれてありがとう」
「あ……」
氷河に真顔で そう言われ、瞬は何も言えなくなってしまったのである。
少なくとも この『ありがとう』に嘘はないだろう――と思う。
瞬は氷河の言葉を信じることにした。

見ると、その場には――瞬の周囲には――悲しそうな人間は誰もいない。
氷河の真意はどうあれ、現実は氷河が告げた言葉の通りに、瞬の目の前に存在している。
それは、自分は生まれてきてよかったのだと、仲間たちに出会い、共に戦い、生きてきてよかったのだということを瞬に信じさせてくれる光景だった。
そう思えることが嬉しくて、瞬もまた氷河に、
「ありがとう」
の一言を返したのである。
そうしてから、瞬は、その視線を、主賓を無視して食べ物を頬張り続けている、このパーティのプロデューサーの方に巡らせたのだった。

「星矢。僕、何のために誕生日のお祝いをするのかわかったような気がする。ありがとう」
「へ?」
瞬に突然 礼を言われた星矢が、虚を衝かれたような顔になる。
なにしろ星矢は、誕生日のパーティーはご馳走を食べるために行なうものと、最初から その“答え”を知っていたのだ。
その考えに反した沙織のバースディパーティーを見て憤り、自分の考えに間違いがないことを確かめるために、星矢はこのパーティーを企画したのである。
瞬に礼を言われることは、彼にとっては想定外の出来事だった。
星矢がきょとんとして、突然 奇妙なことを言い出した仲間の顔を見詰める。
「そりゃあ、美味いもの たらふく食って、生まれてきてよかったなーって実感するためだろ」
「うん。生まれてきてよかった」

人はなぜ誕生日を祝うのか。
どうやら野生の本能で、誰よりも早く その答え――正しい答え――に行きついていたらしい このパーティの企画立案者に、瞬は心からの感謝と微笑を返したのである。
少々 苦笑混じりに。


自分は生まれてきてよかったのだと 信じられること。
それが誕生日を祝うことの意味であり、目的であり、そして最高のプレゼントです。






Thank you for your being born,Shun.






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