「氷河、こんばんは」 「ああ」 その夜、ほとんど猫たちの身代わりの人身御供の気分で、瞬は氷河の部屋を訪れた。 「あの……お言葉に甘えまして、今夜からしばらくお世話になります」 「遠慮せず、いつまででも好きなだけいていいぞ」 「う……うん。ありがと」 瞬は、なぜ こういう事態になったのかを、未だに理解しかねていた。 氷河のベッドに すとんと腰をおろし、いつも自分が使う方の枕を抱きしめ、それに顔を埋める。 「どうした?」 「ん……猫のヒョウガたち、どうしてるかなー……って思って」 氷河はベッドサイドにあるスタンドのライトをつけると、部屋のメインライトをさっさと消してしまった。 ついでに瞬の手から彼が抱きしめている枕を奪い取り、元の場所に戻す。 「そんなに猫共のことが気になるなら、無理してここにいる必要はないぞ」 幸か不幸か瞬には感じ取れないのだが、氷河がそのセリフを言い終わった時点で、城戸邸の気温はまたしても5度下降した。 瞬が、氷河の機嫌の悪化を敏感に察知して、もごもごと彼のベッドにもぐりこむ。 そうしてから瞬は、枕許に不機嫌な顔をして立っている氷河を見上げ、言った。 「でもね、猫のヒョウガたちと眠るの、そんなにいやじゃなかったんだよ。ふわふわしてて可愛くて」 「ふん……」 氷河はまた不愉快そうに顎をしゃくったが、それが“振り”だということは、瞬にはもうわかっていた。 瞬が横になっているその脇に、氷河が腰をおろす。 「もちろん、氷河と眠る方がずっといいけど」 「俺も一人で眠るよりは、おまえと一緒の方がいい」 両腕をシーツの上について、氷河は瞬の顔を見おろした。 ほんの少し肩をすくめて、瞬が困ったように微笑を浮かべる。 「うん……。それに、兄さんやヒョウガ、猫の僕にあっさり鞍替えしちゃったしね」 「あいつらは見る目がないんだ」 「見る目なんて、人間の氷河にだけあればいいよ」 瞬のその言葉に、氷河は非常に気を良くしたらしい。 先程降下した気温は、すぐ元に戻った。 「あんな猫共より、おまえの方がずっと ふわふわしてて可愛い」 「え……」 見慣れた仏頂面で、氷河の言うセリフとも思えないセリフを言われ、瞬がぱっと赤面する。 「ひょ……氷河、自分が なに言ってるかわかってないでしょ」 「わかっているぞ」 「わ……わかって言ってるなら、氷河、正気じゃないんだ」 真っ赤になってどもりながら言う瞬に、氷河は身体と唇を重ねていった。 そうしてから、唇だけを離して、もう一度瞬の顔を覗き込む。 「こういう状態で、正気でいられる方がおかしい」 「そ……そういうものなの?」 「そういうもんだ」 「ふ……ふぅん……」 白い月が、やわらかく優しい光を室内に降り注いでくる。 半月振りの平和な夜──城戸邸の住人にとっても、氷河にとっても──は、ゆっくりと静かに更けていった。 世界はこうして再び以前の平和と暖かさを取り戻した──かのように見えた。 しかし、その夜の平和が、束の間の、陽炎の命のように儚いものだったということを、紫龍たちが知るのに そう長い時間はかからなかったのである。 翌日、猫のヒョウガと猫のシュンが意気統合してしまったために あぶれてしまった猫のイッキが、またしても瞬にまとわりつき始め、城戸邸は再び懲りもせず飽きもせず氷河期に突入してしまったのだ。 平和とは 戦乱と戦乱の狭間に、夏は冬と冬の狭間に、ごくごく控えめに存在するものらしい。 世の中が夏なのか冬なのか、あるいは春なのか秋なのか、城戸邸の住人には、まるで関わりのないことだった。 Fin.
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