翌朝、顔や腕のあちこちに昨日の喧嘩の名残りをとどめた氷河が、一輝の目を盗んでこっそりと、瞬の手に手紙を握らせてきた。
あれほど待ち望んでいた氷河からの返事。
その手紙を、瞬は読むことができなかった。
おそらく、その手紙には、『俺はおまえなんか大嫌いだ』とか『いつもぴーぴー泣いてばっかりいて、うっとーしーんだよ』とか、そんな文章が綴られているに違いない。

内容が分かっているのに、否、分かっているからこそ、瞬はその手紙を読むのが恐かった。
言葉で言われたことを、もう一度はっきり確認することが恐ろしく、手紙の封を切ったら、その辛い文面を何度も繰り返し読んでしまうだろう自分が恐かった。
氷河からの手紙を読んでしまったら、自分はまた泣いてしまうに違いなく、そうなったら、なお一層氷河は自分を嫌うことになるだろう――そう思うと、それだけで瞬の瞳には涙が浮かんできてしまい、そんな自分が情けなくて惨めで、瞬は、どうしても氷河からの手紙を読む気になれなかったのである。

そして、実際のところ、氷河からの手紙を読んでいる暇も、瞬には与えられなかった。
瞬が氷河から返事を貰ったその日のうちに、某辰巳氏が、例のくじ引きセレモニーを執り行い、数日間の慌ただしい準備期間の後、城戸邸に集められていた子供たちは皆、散り散りに、それぞれの修行地に送りだされてしまったのである。
瞬もまた、兄から引き離された。


アンドロメダ島で瞬が辛い特訓を耐え抜き、アンドロメダの聖衣を手に入れることができた表向きの理由は、生きて再び会おうという兄との約束のためだった。
だが、辛い特訓から逃げ出したくなるたびに瞬が心に思い浮かべたのは、氷河から貰った読めない手紙のことだった。
どんなに辛い修行も、あの手紙を読むことに比べたらどれほどのものだろう――と、瞬は思った。聖闘士になるための修行がどれほど苦しいものだとしても、その修行が痛め傷つけるのは体だけのことで、自分が自分の意思を保ってさえいれば、心が傷つくことはない。

だが、氷河からの手紙は、物理的な力は何も持っていないくせに、あっさりと瞬の全人格を否定してしまうほどの威力を持っているのだ。
それは、セブンセンシズがどれほどのものかと言わんばかりに強大な力なのである。
『俺はおまえが大嫌いだ』
そんな言葉を投げつけられるくらいなら、百遍死ぬ方がまだましだと、瞬は思った。
もうこんな特訓には耐えられないと挫けそうになるたびに、瞬は、日本から持ってきたバッグの底に隠していた手紙を取り出し、宛名すら書かれていない薄い水色の封筒を見詰め続けた。
そうして、辛い日々を、寂しい夜を、瞬はひたすら耐え抜いたのである。






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