瞬の不安は、その一週間後には現実のものとなった。 まず、蟹江専務と大蔵省官僚との癒着がスッパぬかれ、多額の賄賂が数人の官僚に流れていることが、週刊誌に大々的に報じられた。 ついで、大蔵省検査の前日に、蟹江氏と大蔵官僚が料亭に入るところの写真が、翌日発売の写真週刊誌に掲載された。 そのどちらの記事でも、グラード損保前野社長の潔癖さは有名で、社長自ら会社ぐるみの癒着とは考えられず、これは蟹江氏個人の贈賄であろうと報じていた。 だとすれば、前野社長の死にも疑念が湧いてくる。 大蔵官僚との癒着を知られた蟹江氏が前野社長を殺害したか、そうでないにしても、蟹江氏の行状を知った前野社長が責任を感じて自殺したか――いずれにせよ、前野社長の死は事故死ではあるまい――と、それらの週刊誌はほとんど断定口調で書き立てていた。 週刊誌に情報をリークしたのが誰なのか、瞬にはすぐに分かった。 分かりはしたが、その報道が事実なのなら、それはそれで仕方ないことだとも思っていた。官僚との癒着は商法規上許されないことであるし、こういった記事が出回れば、前野社長の死について、警察ももう少し突っ込んだ捜査をしてくれるようになるかもしれない。そう考えて、瞬は、しばらく成り行きを見守ることにしたのである。 「前野社長の潔癖症は業界でも有名でね、会社ぐるみの癒着とは思われていないようなの。会社の社会的なイメージはむしろ良くなってきてて、業績もあがってるから、やりたいようにやっていいわよ。財団は、蟹江専務は切るわ」 と沙織からの激励の電話もあった。 グラード財団という後ろ楯を失った蟹江氏に、世間の対応は激烈だった。 大蔵省との癒着のみならず、会社の金を使っての豪遊、数十億円の邸宅や別荘、紊乱な女性関係から隠し資産まで次々と悪事が露見し、挙げ句の果ては、妻の不倫、子供の不正入学までがスッパ抜かれ、蟹江氏とその家族は、一躍日本一の憎まれ者になってしまったのである。 その頃からだった。 蟹江氏の自宅に爆発物が投げ込まれたり、蟹江氏の自動車のブレーキに細工がされて事故を起こしかけたりと、蟹江氏の周囲で不穏な事件が起こり始めたのは。 犯人は捕まりはしなかったが、今や日本中の誰が犯人でもおかしくはないという状況で、蟹江氏とその家族は、お忍びでホテルを転々と移り暮らしているという話だった。 が、彼らが一流ホテルを転々とできるという事実に、国民はまた怒りを新たにしたのである。 外に出られないから、ホテルの高価な食事をとる。 するとまた、国民が妬む。 子供も危険にさらされかねないので、学校を休ませる。 すると、不正入学で授業についていく頭がないからだと、ワイドショーに叩かれる。 まさに、日本国中が蟹江氏バッシングのお祭り騒ぎ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々状態だった。 そんな日々が長く続くうち、あまりのバッシングに耐えきれなくなったのか、蟹江一家は、持てる固定資産の全てを捨てて、地下に潜伏した――らしい。 日本が世界に誇るワイドショースタッフが血眼になって捜しても、蟹江氏とその家族の行方を掴むことはできなかった。蟹江氏とその家族は、人々の前から忽然とその姿を消し去ってしまったのである。 国外に逃げ去ったか、あるいは何者かに消されたか、あるいはホームレスにでも身を堕としたか―― マスコミは散々騒ぎ、追跡調査を続け、勝手な憶測を披露しまくったが、やがて某大物女優の離婚という事件が起こり、蟹江氏とその末路は人々の頭の中から次第に忘れ去られていったのである。 あの大騒ぎに、氷河がどこまで関わっていたのか――を、瞬は恐ろしくて氷河に尋ねることができなかった。 最初の大蔵官僚との癒着をマスコミにリークしただけなのか、それとも蟹江氏の末路の面倒までみてしまったのか。 どこまでが氷河のたくらんだことで、どこからが日本国民の暴走だったのか――。 いずれにしても、氷河の謀略で、蟹江氏の存在は社会的に(もしかしたら物理的にも?)抹殺されてしまったのである。 真実を知るのが、瞬は恐ろしくてならなかった。 蟹江氏の行方がしれなくなって騒ぎが鎮静化に向かい始めた頃、 「前野社長は自殺だったらしいの。糖尿病と肩凝りと腰痛で悩んでて、仕事が続けられなくなって、生きていく希望を持てなくなったって書かれた遺書がね、今になって貸し金庫から出てきたのよ」 という沙織からの電話があっただけになおさら、瞬は怖くて確かめられなかった。 だいいち、そもそもの事件の発端となった蟹江氏と大蔵官僚との癒着くらい、氷河は平気で捏造しかねないのだ。 沙織からの連絡を受けて、 「――少しやりすぎたか……」 と呟いた氷河に、 「どこまでやったんですか?」 と訊く勇気は、瞬には到底持ちえないものだった。 「ま、いいか。どうせ下衆野郎だったんだし」 罪の意識も良心の呵責も感じていない様子で、氷河はあっさり切って捨てる。 不安そうな瞬の眼差しに気付くと、彼は非情なことなど考えたこともしたこともない人間のように優しく、瞬に笑いかけてきた。 「おまえの声、取り戻してやったからな。カニ野郎の自宅の金庫から、マスターテープごと」 「氷河……」 事実を確かめることは、瞬にはできなかった。 「大丈夫。おまえの声を聞いた奴はもういない」 氷河が、瞬以外の誰にも見せない微笑が優しければ優しいほど、その微笑が瞬を不安にさせた。 Fin.
|