風人と花香は、グラード財団が運営している幼稚園に通っている。
雪人と月香は、同じく財団が運営する学園の高等部と中等部に在籍していた。
氷河が財団の基幹会社の一つを任されているし、瞬は財団出資の遺伝子研究所に研究室を持つ財団お抱えの科学者で、しかも二人は財団総帥の城戸沙織の遠い親戚でもあるらしい。
だから、雪人たちはそれが当然のごとくに幼稚園から小・中・高とこの学園に通ってきた。
入園試験の難しいので有名な学園に、試験どころか両親の面接も無しで入園を許可されたのだから、一種の裏口入学ではあるのかもしれない。
ありとあらゆる分野で他の生徒にトップを譲ったことのない雪人と月香は、それを引け目に感じたことはなかったが。

子供には端迷惑なほど熱烈に愛し合っている若く美しい両親。
学園内に知らない者はなく、容姿端麗・成績優秀・スポーツ万能と、まるで20年前の少女マンガのヒーローのような兄。
そして、砂糖菓子のように可愛らしい弟妹。
月香自身も申し分のない美貌と才能に恵まれている。
経済面でも愛情面でも恵まれ、友達の誰もが羨み憧れる家庭――。
月香はそれまで、自分の家庭が他の家庭と違うと思ったことはなかった。
違うとすれば、それは家族全員が“出来すぎている”というくらいのことで、だが、それも、あの氷河とあの瞬が巡り合って築いた家庭なのだから当然という気がしていたのだ。


それはともかく、月香のその日の午後いちばんの授業は理科だった。
生物の遺伝と変異の章。
さして面白い授業をする教師ではなかったので、いつもならあまり身を入れて聞くこともないのだが、今日ばかりはその内容が内容である。
瞬の研究の根幹に当たる部分なのだ。
月香は、少しは真剣に聞いてみようと、いつになく殊勝な心掛けで授業に臨んでいた。

メンデルの法則、優性遺伝と劣性遺伝。
DNAを構成する四つの塩基、アデニン・グアニン・シトシン・チミン――。
こんなモノのどこに魅力を覚えて瞬は遺伝子の研究などに携わっているのか――月香は少々理解しかねていた。
「劣性遺伝の劣性というのは劣っているという意味じゃないぞ。たとえば、金髪と黒髪では金髪の方が劣性になるわけだが、城戸くんの金髪が黒髪に劣っているとは誰も思わないだろう?」

劣性遺伝のいい見本とばかりに、教師が月香を引き合いに出す。月香はあまりいい気持ちにはなれなかった。
「先生。じゃあ、城戸さんの場合、お父様が金髪×金髪、お母様が黒髪×金髪の遺伝子を持ってらして、お父様の金髪の遺伝子とお母様の金髪の遺伝子が組み合わさって、城戸さん自身も金髪になったってことですか?」
クラスメイトの一人が、興味深げに質問をする。
彼女に悪気はないのだろう。
ただ月香の金髪を羨んでいるだけで。
だが、月香はその質問にはっきり不快になった。

(お母さん……)
月香の家庭が一般的な家庭と違うところ。
それはつまり、母親の不在、なのだ。
「ん…まあ、一概にそうとは言えん。中間雑種というのもあるし、突然変異や隔世遺伝の場合もある。遺伝子はたえず変化しているんだ。組み替えが起こったり、X線や紫外線に影響を受けたりしてな。生まれた時は金髪で長ずるに従って色が濃くなっていく場合もあるし、メッシュという場合もある。ま、中学の段階でそこまでは……」

教師の説明は、妙に歯切れが悪い。
「どうも説明しにくいな。城戸くんの親御さんは、書籍を何冊も出している高名な遺伝学者で……いや、うん、その……まだ解明されきっていないんだ、人間の遺伝子ってのは――」
説明しにくいのは、瞬が著名な学者だから、ではないだろう――と、月香は思った。
この教師は知っているのだ。
月香に――というより、月香の家庭に――母親がいないということを。
氷河や瞬、あるいは城戸沙織が、月香の家庭について学園内の教師たちにどういう説明をしているのかは知らないが、戸籍上、瞬が氷河と養子縁組をした5人兄弟の長子となっていることは月香も知っていた。

そして、雪人と自分は氷河にだけ、風人と花香は瞬にだけ似ている――。
ふと、それまで月香が考えたこともなかった疑念が、彼女の頭に浮かんできた。
(私の――私たちの母親って誰……?)
ヒトは生物学上、単性生殖はできない。
父親と母親の遺伝子を受け継いで、ヒトの子は生まれてくる。
だから、ヒトの遺伝子は二重らせんを描いているのだ。
(私の――私たちの二重らせんのもう一方の遺伝子はどこから来たの……?)

氷河にだけ似ているといっても、月香は男性ではない。
つまり、氷河のクローンということもありえない。
もう一人、氷河の他にもう一人、親がいるはずなのだ――。
男性にだけ発現する血友病の遺伝について、教師の説明は続いていたが、月香はもう理科の授業など聞いてはいなかった。






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