『城戸』の名に、氷河は幾度か瞬の屋敷の中で出くわした。
使用人の電話の取り次ぎや郵便物の差し出し人の報告――そんなものを洩れ聞いているうちに、氷河は、それが現在の城戸の当主ではなく、その長男の方を指していること、その長男坊を 瞬が死ぬほど嫌い抜いていること──を知ることになった。
(好かれるタイプの男じゃないからな。陰険で傲慢で、いつも他人を見下していて、へたに顔の造作が整っていて頭が切れる分、かえってたちが悪い)

『城戸』は、不動産業・銀行を基幹企業として、ここ十数年のうちに成り上がってきた新興のコングロマリットである。
2年ほど前に初代の当主が──つまりは、城戸グループを興こした創業者が――死に、代替わりがあった。
現在の当主の息子──要するに、未来の城戸グループの支配者──は、まだ27、8の若年でありながら、グループ内のかなりの系列会社の重役、顧問職を兼任している。
親の七光を抜きにしても、確かに やり手の男ではあった。
そういう世界の男が瞬の家と関わりがあったとしても、それは別段不思議なことではないのだが、初めて瞬に会った時、城戸の部下たちが瞬に言っていた言葉が頭に引っかかって、氷河はどうにも気が晴れなかったのである。

『城戸様は、あなたを非常に気に入っておられまして、ぜひとも お連れするようにとの──』
(──考え過ぎだ……。あの陰険野郎は女なら引く手あまたのはずだし、そんな趣味の持ち合わせもないはずだ)
自身に そう言いきかせはするのだが、他の誰でもない自分自身が、瞬に出会うまで 自分には“そんな趣味”はないと思っていた事実を思い出し、そうも言いきれないぞと、また自らに反論する。
一度、瞬に尋ねてみたことがあった。
「“城戸”……って、あの“城戸”か?」
「ご存じですか?」
「知らない奴などいないだろう」
「……そうですね……」
真鍮のトレイに載せて運ばれてきた城戸からの手紙を、瞬が封も切らずにびりびりと破きながら、呟くように言う。

「瞬?」
「いいんです。用件は わかっていますから」
「この屋敷を売れとでも言うんだろう? あの家の連中は、皆 貪欲で執念深い。欲しいとなったら、そのための代償や犠牲など物ともせずに目的の物を必ず手に入れる奴等だ」
探りを入れるつもりで、氷河はかえって自分の方の都合を瞬の前にさらすことになってしまっていた。
「……まあ、そういうところですけれど……。氷河、随分詳しいんですね。あの一族のこと」
さりげなく尋ねてくる瞬に、氷河が慌てて何気ない様子を装う。
「有名だからな」
「そうですか?」
瞬の疑うような視線を他に向けるため、氷河は瞬の兄の話を持ち出さなければならなくなった。


瞬が『城戸』との関わりについて触れてほしくない様子だったので、氷河はそれ以後その件には触れずにいた。
瞬もまた、氷河と城戸の関係について、氷河に尋ねようとはしなかった。
人には人ごとに触れてほしくない部分があり、それを暴こうとするのは悪趣味なことである──という信条を、自分と同じく瞬もまた抱いているのだろうと、氷河は思っていた。
そして、だが、本当は そんな信条などどぶに捨ててでも、瞬が隠していること、他人の目にさらそうとしないことの すべてを知りたい──と望んでいる自分自身を自覚し、それで氷河は ちょっとしたジレンマに陥ってしまっていたのである。






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