いつものように門をやりすごし、氷河は深夜の永宮邸の固く閉ざされた玄関の古めかしいドアの前に、しばらく立ち尽くしていた。 瞬の部屋は、この屋敷のかなり奥めいたところにある。 使用人を呼び出してドアを開けさせたところで瞬が会ってくれるとは思えなかった氷河は、屋敷を迂回して、庭から直接 瞬の部屋の方へとまわった。 邸内の灯りはほとんど消されてしまっていたが、屋敷の二階の一角にある部屋のバルコニーが、細く煙るような雨の中でぼんやりとした灯りに照らし出されている。 瞬が、そこにいた。 瞬は、先程よりは幾分弱まった霧のような雨に身を任せるようにして、庭に突き出たバルコニーの手擦りにもたれ、ひとりきりで頼りなく佇んでいた。 その姿を、庭の楡の木の幹に身をもたせかけて、氷河はしばらく無言で見あげていたのである。 瞬に告げる言葉が、咄嗟には思いつかなかった。 寂しそうな瞬の横顔が、ひどく美しく見える。 瞬は、また、この広い屋敷で一人きり兄を待つつもりでいるのだろうか。 霧の雨に打たれながら、彼はそんな哀しい決意をしているのだろうか──? 胸に迫るものを感じ、氷河は一歩足を前に踏み出した。 「氷河……好き……」 氷河がその場にいることには気付いていないのだろう。 瞬は宙に向かって呟くように言葉を投げかけた。 「……俺もだ。知っていたんだろう、本当は、ずっと前から」 「氷河……!」 思いもかけない人の姿をその場に見い出したジュリエットが、驚いて瞳を見開く。 一瞬喜びに輝いた瞬の瞳は、だがすぐに影を含んだ暗いものに変わった。 「僕を……なじりに来たの、氷河……」 氷河が首を横に振る。 バルコニーから庭に下りるために設えられている石の階段の手擦りに、氷河は手をかけた。 「おまえに頼みたいことがある」 「頼みたいこと……?」 氷河が一段一段ゆっくりと階段を登る様を、瞬は怯えた目をして見詰めていた。 氷河が自分と同じ場所に立つまで、瞬は氷河が再び自分の許にやってきた訳を察することができずにいるようだった。 それはそうだろう。 あんなことがあったすぐあとに――しかも、一度は瞬の許から逃げ出した そのあとに、 「おまえを愛したい。俺を愛してくれ」 と望むことは、恋のために分別を失ったヴェローナのロミオでも躊躇を覚えるほど、恥知らずで なりふり構わぬ愚行であるに違いなかった。 「氷河……」 できる限り静かに、抑揚を消し去って、氷河は告げたつもりだった。 だからといって、もはや何があっても抑えられない 当惑したように自分を見あげてくる瞬の答えを、氷河は待ってはいなかった。 雨を含んで濡れた瞬の髪を、その指でまさぐる。 その腕からも唇からも、氷河は瞬に抗うことを許さなかった。 無理強いするつもりはなかったのだが、氷河の心と身体が、『生きたい』『俺は生きていたい』と氷河に訴えてきて、氷河は その叫びに抗することができなかったのだ。 そして、氷河が生きていくためには、生き続けるためには、どうしても瞬が必要だった。 雨に打たれていた二人の身体は氷のように冷えきっていたが、肌と肌を重ね、腕と腕を絡め合うと、二人の身体は あっという間に熱の塊りになった。 触れ合う場所、交わる場所、すべてが熱い――火傷しそうなほど熱い。 瞬の中も、そこに迎え入れられたものも 同じように熱かったので、二人は、どこからどこまでが自分で、どこからどこまでが自分でないのかの区別がつかなかった。 文字通り、忘我。 我を忘れて、二人は自分が生きるために必要なものを求め合った。 |