紫龍のあとに続くだろうと思っていた氷河が、一向に その場を動こうとしないのを訝ったのだろう。
瞬は、しばしためらってから、小さく彼の名を呼んだ。
「氷河……?」
「ん、ああ」
瞬の声にはっと我にかえった氷河は、何も知らずに――否、すべてを忘れて――そこにいる瞬の大きな瞳を見やったのである。

氷河にとって、瞬は、シベリアの冬と対極を成すものだった。
幸福な笑顔こそが、瞬には他の何よりもふさわしいものだとも思う。
だが――。
“氷河”しか映していない瞬のその瞳に、氷河の胸の奥でミッドガルドの心が苦しげに呻いている。
ミッドガルドが、悲しげに泣いているのだ。

「瞬……」
腕を伸ばし、氷河は力の限り瞬を抱きしめた。
出し抜けの抱擁に驚いたらしい瞬が、戸惑ったように その身体をたじろがせる。
が、瞬はすぐに氷河の胸の中で大人しくなった。
それは多分、瞬が長いこと望んでいたものだったのだろう。
“春”から逃げてばかりいる臆病な男の胸の温かさ――。
そして、おそらく、ミッドガルドの望んでいたものも、瞬の温もりだったろう。
それを手に入れることはもうできないと悟った時、彼の望みは“瞬の幸福”にすり変わった。
瞬に忘れ去られることなど、その望みに比べれば、どれほどの代償か。
耐えられるはず、耐えなければならないのだ――と、氷河の意識の奥底で、ミッドガルドは決意したに違いない。

「誰よりも、おまえを愛している、アンドロメダ……」
瞬の細い身体を抱きしめて、氷河はミッドガルドの代わりに瞬に告げた。
突然のアンドロメダ呼ばわりを、瞬は怪訝に思ったようだった。
だが、氷河の声でそう呼ばれることに、不思議な懐かしさを覚えたのだろう。それについては何も言わず、瞬は、氷河の胸でこくりと小さく頷いた。
「あ……あの……僕も好きだよ……」
恥ずかしそうにそう告げてくる瞬の声が、ひどく悲しく やりきれない。
氷河は瞬を抱きしめたままで瞬の髪をまさぐりながら、微かに眉根を寄せた。
「多分、一人の人間が人を愛することのできる限界を越えて、二人分――」
「……?」
その言葉の意味が理解できなかったらしく、瞬は自分を抱きしめている男の顔を見あげ、それから不思議そうに首をかしげた。


どれほど春に焦がれても、決して春に同化できずに消えていく冬の最後の一日。
ミッドガルドの残していった季節の名残りに、瞬は切なく包まれている。






Fin.






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