「兄上、おやめください。十字軍の許に兄上お一人で乗り込むなど危険すぎます! あの堕落した者たち相手に交渉を求めるなど無意味です。それよりアラゴン王の仲裁を受け入れてください。せっかく兄上の命を惜しんで、王自ら法王に掛け合ってくださったのですから…!」
シュンは、十字軍本営に赴くために甲冑を身に着けた兄を引き止めるため、涙ながらに訴えた。
欧州中に名の聞こえた若き騎士の命を惜しんで、アラゴン王ペドロ二世が、十字軍とレーモン・ロジェの仲裁の労をとってくれたのは、カルカソンヌ包囲が始まってすぐのことだった。
その際、十字軍側は、レーモン・ロジェの命を助ける代わりに、現在カルカソンヌに立て籠もっている全ての領民を十字軍に引き渡すことを要求してきたのである。
引き渡す者の中には、慰藉式を受けてカタリ派の完徳者の一人になっていた、彼の年若い弟も含まれていた。
「シュン。おまえは私を、己れの命惜しさに、自分の民ばかりか、まだ十四にもなっていない幼い弟を売った男にしたいのか」
「ですが、兄上はカタリ派信者ではありません。法王もそれは知っているはずです!」
今日は朝から城壁の周囲が静かだった。
十字軍という名の殺戮者たちは、カルカソンヌの落城を見越しているのか、いっかな攻撃を仕掛けてくる気配がない。
あるいは、彼等は、真夏の暑さにうだりきって、騒ぎを起こす気が失せているのかもしれなかった。
石造りの城の部屋は、真夏の昼下がりとは思えぬほど、ひんやりと冷たい空気に満ちている。
死地に赴くようなものだというのに、かつてないほど穏やかな眼差しで自分を見詰める兄が、シュンは悲しかった。
「奴等は、異端討伐という大義を掲げた領地目当ての薄汚ない盗人共だ。私がカタリ派信者かカトリック信者かということは、奴等には大した問題ではあるまい」
「では、なおさら、そんな者たちに騎士道精神を期待することはできないではありませんか! 交渉に赴いた兄上をそのまま捕らえてしまわないと、誰に言えるのです!」
「あちらには、ブルゴーニュ公もヌヴェール伯もサン・ポル伯もいる。彼等は私の友人だし、自らの領地と民を守るため、致し方なく十字軍に参加したようなもの。心配は不要だ」
そうまで言われても、シュンの不安は拭い去れない。
ベジエの町の大虐殺、欲にまみれた十字軍兵士、法王インノケンティウス三世のカタリ派への憎しみ――何もかもが不安の材料だった。
レーモン・ロジェの大きな手が、涙に濡れる弟の頬に触れる。
戦場にあっては全てを焼き尽くす炎のように激烈な騎士は、小さな弟に優しく深い瞳で微笑みかけた。
「おまえがカタリ派の完徳者になったのは、私のためだったのだろう? ならば、おまえを守るのは私の務めだ」
「兄さま……」
「大丈夫。私の身に何かあっても、我々はまたどこかで再び会える」
カタリ派は輪廻転生の思想を持つ。
それが、カタリ派がローマ教会によって異端とされた理由の一つだった。
カトリック信者であるレーモン・ロジェが、たとえ弟を慰めるためとはいえ、そんなことを口にするのは、十分に神への冒涜だったのだが、彼はもともと神を信じていない――必要としていない――ところのある男だった。
「では行ってくる」
それだけ言って、レーモン・ロジェは踵を返した。
鈍く光る甲冑と、広い背中を覆う漆黒のマント。
それが、シュンの見た兄の最後の姿だった。
名誉と騎士道の掟に反してレーモン・ロジェ・トランカヴェルは十字軍に捕らえられ、間もなく彼は十字軍本営の牢内でその命を終えたのである。
果断に富む指揮官を失って、カルカソンヌは落城した。

勇猛と礼節で聞こえたこの騎士の死を契機にして、聖戦という名の殺戮が南部フランスを侵していくことになる。






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