自分でない自分に瞬のファーストキスを奪われたことには腹が立つ。 目覚めた瞬の開口一番が他の男の名前だということにもムカついた。 一ヵ月以上の長きに渡っていたはずの辛い夢が、目覚めてみれば僅か三〇分にも届かない短いもので、おまけに石畳の上にぶっ倒れていたところを観光客に発見されるという無様さに至っては、苛立ちよりも情けなさの方が先に立つ。 しかし、それよりも何よりも――いつまで経っても目覚めてくれない瞬を枕許で見守っている間、幾度も瞬を異端の少年に重ねてあらぬことを考えてしまった自分が、氷河は許せなかったのである。 無論、その手のことは、いつも考えていることではあったのだが、瞬でない人間を瞬に重ねてそんなことを考えるのは、男として下劣極まりない――ような気がした。 (だいたい、なんであんなに瞬そっくりなんだ。 前世も何も、あの夢が実際にあったことなのか、それとも瞬と二人で同じ幻想に引きずり込まれてしまっただけなのかもわからない。 氷河にわかるのは、あの十字軍騎士が、気も狂わんばかりにシュンを求めていたこと、石畳に叩きつけられたシュンの 氷河は、まるで自分自身のもののように彼の感情に同調でき、あの夢の中で彼と同じ恋に身を委ねていた。 それがいったい何故なのかは、わからないのだけれども。 (明日はまた長いドライブになるっていうのに、どう考えても眠れないぞ、今夜は……) 下手に眠ってしまったら、どんな夢に悩まされるかわかったものではない。 それが瞬の夢だというのであれば、儲け物と喜ぶところだが、そうでなかった時、深い自己嫌悪に陥るのは目に見えている。 (俺がこんなに男の操を立ててるっていうのに、どうして瞬はいつまでも俺を拒み続けるんだっ!) 瞬は氷河の苦悩を知らないのだから、それは当然といえば当然のことなのだが、こういう苦悩に身を任せている男に、道理の通じるはずもない。 永久氷壁より頑なな瞬の心を内心で責めながら、氷河はデスクの引きだしから一冊の書籍を取り出した。 ホテルの部屋に聖書が備えつけられている本当の訳を、氷河は今日生まれて初めて知ったのだった。 氷河の部屋にフロントから電話が入ってきたのは、彼がモーセ五書を読み終えた時だった。 「夜分、恐れ入ります。やはりお知らせしておいた方がよろしいかと思いまして」 遠慮がちなフランス語で、フロント係は、瞬が10分ほど前に、まるで夢遊病者のような足取りでホテルのロビーを出ていったことを氷河に教えてくれた。 「少々心配で――なにしろお可愛らしいお方ですから、お一人で外に出るのは危ないかと存じまして、どちらにいらっしゃるのかとお尋ねしたのですが――」 瞬はオック語で――もう使う者とてない、この地方の古い言葉で――『あの人が待っているから』と答えたのだそうだった。 現代フランス語もあやしい瞬が、オック語など知っているはずがない。 氷河はフロント係に礼も言わずに電話を切ると、即座に部屋を飛び出した。 あの亡霊が瞬を呼んでいる――。 それは確信に近かった。 『気をつけろよ、氷河。おまえの可愛い仔猫ちゃんを亡霊に取られないように』 ミロの言った軽口が、光と闇の中に浮かぶ城塞に向かって駆け出した氷河の足を加速させる。 (くそっ、冗談じゃない! 瞬は俺のものだぞっ!) 亡霊などに奪われて諦められる程度の思いなら、氷河はとうの昔に瞬を言いくるめて自分のものにしていたのだ。 それができないほど愛しい者を、他の男の手に――それも数百年も前に死んだ男の手に――渡すことなどできるわけがない。 (瞬……!) 煌々と照明の灯された夜の城塞都市は、生きている者の姿ひとつない死者の |