さて、嫁いびりを続けられなくなった一輝国王が王子ふーふの居間を出ていくと、氷河姫は、これまで故意に避けていたその質問を瞬王子にぶつけてみたのです。
つまり、 「瞬。おまえは、子供が欲しいのか?」 ――という質問を。 瞬王子は、思い遣りの権化のような夫でしたし、なにより、氷河姫をとても愛していたので、その瞳に妻への愛情を溢れんばかりにたたえて、優しく微笑みました。 「兄君の言うことを気にする必要はないんですよ、氷河姫。それは神様のお決めになることだし、……氷河姫も以前言っていたでしょう? あんまり仲のいい二人のところには、なかなか子供は授からないものなんだ……って。僕は氷河姫が大好きだから、きっと、子供ができたとしても、氷河姫を愛するほどにはその子を愛してあげられないかもしれないし……。きっと、僕がまだそんなふうな子供だから、神様も子供を授けるのをためらっていらっしゃるのだと思うんです」 「…………」 神がためらっているのではないのです。 瞬王子の愛情が、誰か一人に与えるだけで手一杯というようなお粗末なものではないことは、神ならぬ身の氷河姫でさえ知っていました。 「兄のこと、悪く思わないでくださいね。兄君は、昔大好きだったエスメラルダさんっていう人のことが忘れられないでいるの。小さな村の貧しいおうちの娘さんで、兄君は、最初は身分を隠して会っていたんですって。でも、騙しているのが辛くなって、ほんとのこと言ってプロポーズしよう…って出掛けていった日に、その娘さんは小麦粉3袋と引き換えに売られていくことになって、そのことを悲しんで自分で自分の命を絶ってしまったの。もし彼女が兄君に相談してくれていたら、兄君はきっと彼女のことを助けてあげられたのに、なぜ彼女は自分を頼ってくれなかったんだろうって、兄君はとても悲しまれて、それからずっとこの国を豊かにするために、もう彼女みたいな人を出さないようにするために、兄君は一生懸命頑張ってきたの。だから……」 あの暑苦しい顔の一輝国王にしては、なかなかな素敵でとても悲しいロマンスです。 氷河姫は、一輝国王をただのブラコンだと決めつけていた自分を(ちょびっとだけ)反省しました。 「エスメラルダさんもそうだったけど、人間って、すぐそばにある幸せの可能性に気付かなかったり、自分が既に幸せでいるってことを知らないでいたりするものだと思うの。僕は、そんなことになりたくない。僕は氷河姫に巡り会えてとても幸せです。他の幸せを欲しがって、そのことを忘れたりはしたくないの」 「瞬……」 瞬王子の言葉は、氷河姫にはとても有難かったのです。 それは瞬王子らしい現実肯定の、優しく強い思い遣りの言葉でもありました。 けれど――。 “子供を授かること”は自分にとって、欲しがってはいけない“他の幸せ”なのだと、瞬王子に告げられてしまった氷河姫は――。 瞬王子から、その“幸せ”の可能性を奪っているのが他ならぬ自分だと知っている氷河姫は――。 氷河姫は、瞬王子さえ自分のものでいてくれればいいと思っていました。 それだけが氷河姫の幸せでした。 けれど、瞬王子は――おそらく、瞬王子は根本的に氷河姫とは人間の作りが違うのです。瞬王子は、一人でも多くの人に愛情を注ぐことで幸せになるタイプの人間なのでしょう。 それが瞬王子の幸せだというのなら、氷河姫はその幸せを瞬王子の手に掴ませてやりたかった。 だって、瞬王子の幸せこそが、氷河姫の幸せだったのですもの。 でも――。 (気合いで俺に子供が産めるものなら、いくらでも気合いを入れまくるんだが……) あいにく、氷河姫は、夜、瞬王子をベッドに押し倒す時以外、滅多に気合いを入れた経験がありませんでした。 人が善良な人を騙すことがあったとしたら、その人を幸福にするために騙すのでなければなりません。 氷河姫の嘘が、瞬王子を不幸にすることがあってはならないのです。 そうして、氷河姫は――。 氷河姫は、この国に来て初めて、瞬王子を可愛がるためにではなく、別の目的のために自分に気合いを入れたのでした。 |