「俺たちが16、7の頃はああじゃなかった」

「氷河が厳しすぎるんじゃないの? 有望な子だと聞いたけど……」

「有望有望。体力・知力・コスモ、どれをとっても、俺がこれまで預かったどのガキよりもはるかに上を行っている。両の親もないそうだし、帰る所も無いようなものらしいし、それなりに根性もある。しかしなぁ…」

窓から射し込む午後の光を受けて輝く金髪を、氷河は惜しげもなく乱暴にかき乱した。

瞬が無言で先を促す。
氷河がその“子供”を見限ったら、次にその“子供”を受け持つことになるのは瞬なのである。精神のリハビリを仕事にしている瞬に、その情報が役立つ日が来ることもあるかもしれないのだ。

「不幸を売り物にしているというか、自慢にしているようなところがあるんだ、あのガキは」

「不幸を自慢?」

瞬が首をかしげる。
下界でならともかく、この聖域で、そんなことを自慢する者がいてよいものだろうか。
一般的に言われる“不幸な境遇”は、少なくともここでは、ありふれた個々人の事情でしかない。

「傷付いてみせるんだ、俺の前で。そして、俺に同情しろと心情的に脅迫してくる」

「ああ」
瞬は、氷河の言わんとするところを了解し、微かに頷いた。
長い髪が、滑らかな絹の上衣の上をさらさらと滑り落ちる。


「……その手は、僕もよく使ったかな」

「おまえが?」
瞬の言葉は、氷河にはひどく意外だった。
意外――というより、瞬が他人に対してそんな“手”を使った場面の記憶が、氷河の中にはなかったのだ。

「氷河が僕以外の誰かのことを話したり、気にかけてたりした時に、傷付いてみせるんだ。それで氷河に罪悪感を感じさせて、その罪悪感で氷河を支配しようとする。よくやったよ。子供がよく使う手だけど。自分の傷をひけらかして、他人を支配したところで、その支配がいつまでも続くわけがないのに」

「おまえがその手を使っていたのは、アンドロメダ島に行く前の、ほんとにガキの頃の話だろーが。15を過ぎてそんな手を使うほど、おまえは馬鹿じゃなかったろう」

「その方が手っ取り早く氷河を僕のものにできることはわかってたんだけどね。氷河の前に、自分の辛苦をさらけ出して、『僕はこんなに傷付いている、僕はこんなに苦しんでいる、僕はこんなに悲しんでいる、僕はこんなに氷河が好きなのに…!』」

時折、今では遺跡になってしまった古代の円形劇場で現代でも演じられるギリシャ悲劇の役者のように大仰な仕草で、瞬が、両手を氷河の方に差しのべて見せる。
狂おしい求愛の1シーンを演じ終えてから、瞬は愉快そうに微笑った。

「そうしたら、氷河が僕を哀れんで、僕を愛してくれるかもしれないと思ったことがないわけでもない」

「おまえがそんな馬鹿なガキだったら、この俺がよろめいたりするか。馬鹿馬鹿しい」

呆れ顔でそう言いながら、瞬に本当にそんなふうに愛を求められた時、まだ“ガキ”だった自分が、果たしてその求愛に無感動でいられただろうかと、氷河は自問した。
が、すぐに彼はその例え話を打ち消したのである。
実際には瞬は“そんな手”は使わなかった。
それは、考えても意味のないことではあるのだ。


「世の中には、そんな手にころっと騙される馬鹿な大人も多いようだよ。自分よりか弱い、無力な存在を守ってやっているんだというポーズをつけて、代わりに、優越感を手に入れて満足している自分に気付かない大人も」
「長続きするか、そんな関係が」
「しないだろうね。人は変わっていくものだし」

弱い人間は強くなる。
あるいはもっと弱くなる。
“子供”を守ってやる必要がなくなった時、あるいは、“子供”が守りきれないほどの弱さを抱え込んで手に負えなくなった時、“強い”つもりでいた者は、自分自身を、その“子供”を、いったいどうするつもりなのだろうか。

その時の到来を覚悟しているのでなければ、人は他人の弱さに優越感など持つべきではないのだ。





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