「オルフェウスの時だって、炎熱聖闘士の時だって、ウルの時だって、復活したアフロディーテの時だって、ミーメの時だって、エリゴルの時だって、兄さんがあと10分出てくるのを我慢してくれてたら、僕はちゃんと自分ひとりであの人たちを倒せてたんだからっっ!!」

「しかしだな、瞬。おまえは俺が出ていくといつも、『やっぱり来てくれたんだねっ』とかなんとか言って、嬉しそうに――」

「兄さんのせいで口癖になっちゃったのっっ!!」

「…………」



“優しく穏やか・争い事は大嫌い”がキャッチフレーズの瞬の、いつにない高姿勢の原因を、星矢たちはすぐに見付けることができた。

酒である。

ラウンジのセンターテーブルの上に、氷河の手にあるものとは別のグラスが2個、空になって鎮座ましましていたのだ。


「みんな、兄さんのせいだ! 兄さんがいつも僕を助けるから、みんなが僕のこと弱いんだって思い込んで、紫龍なんか、僕に聖衣を着せたくないなんて言い出すし、星矢はそれに同調するし!」

話が自分たちに飛び火しかけているのに気付いた星矢と紫龍は、一瞬身体を硬直させたのだが、二人にとって幸いなことに、瞬の怒りはすぐにまた方向転換してくれた。

――とんでもない方向に。



「兄さんのせいで……! 兄さんのせいで、僕は受けなんかやらされてるんだっっ!!!!」





「…………」
「…………」
「…………」



瞬のその悲痛な訴えにほとんど白目を剥いて絶句したのは、瞬の兄、紫龍、星矢の三人。

瞬を“受け”にしている張本人は、存外冷静な表情で、相変わらず琥珀色の液体の入ったグラスを傾けている。


「お……おい、氷河。どーにかしろよ。瞬の奴、とんでもないこと言い始めたぞ」

口許を引きつらせて氷河の横腹を肘で突ついた星矢の言葉を聞き咎めた瞬が、今度は星矢に向かって怒声を響かせる。

「とんでもないこと!? これのどこがとんでもないことなの! 重要なことだよ! 超シリアスな問題なんだ!」

「いや、まあ、一人の男にとっては、確かに重大問題だが」
なだめるような紫龍の声など、瞬の耳には全く届いていない。
いったい誰が瞬に酒など飲ませたのだと、紫龍は胸中で大きく舌打ちをした。


「氷河だって、兄さんのせいで、僕を誤解してるんだ! 毎晩毎晩あったりまえのことみたいな顔して、僕を押し倒してっっ!」


(瞬〜〜っっっ;;; おまえ、お心清らかなるどこぞの王とかなんとか言われてたんじゃなかったか〜〜〜っっっ;;;)
と悲嘆に暮れるのも、何故か氷河ではない。

氷河は、この異常事態にも平静・冷静、泰然自若。
彼は慌てた様子もなく、抑揚のない声で瞬に告げた。

「当たり前のこととは思っていないぞ。俺は、毎日おまえが俺と寝てくれるのを神に感謝している」

「でも、僕のこと、弱っちい子だと思ってるから……」

「悪いが、俺は弱い人間は嫌いだ」

「じゃあ、なんでいつも僕に受けをさせるのっ!」

「そうしてやると、おまえが歓ぶから」

たとえそれが事実だったとしても、人生には真実を告げてはいけない時と場面がある。
その辺りの常識をまるで弁えていない氷河の言葉に、瞬は意地になってしまったようだった。

で、意地になった瞬曰く、
「ぼ……僕、喜んでなんかいないもんっ! ぼ……僕だって、攻めくらいできるもんっ!」
――である。


瞬のその言葉に最初に反応したのは、マッハを超えた光速拳の使い手・なんちゃって主人公のペガサス星矢、その人だった。

「それ、ほんとかよ」

『聖闘士星矢』における主人公の役割は、トラブルを引き起こすこと。
故に、彼は己れの役目に忠実に、さらりと、余計な一言を口にしたのである。


酔っ払い瞬は、超光速で、星矢の余計な一言に眉をつりあげた。

「できるよっ!」

たとえ瞬でも(?)ここで『あんまり自信はないけどね♪』などと笑顔で答えられるものだろうか。
答えられるわけがない。
花も恥じらい月も雲間に隠れるほど可憐な容貌の持ち主とはいえ、瞬は一応、立派な男(の子)なのである。

瞬のきっぱりとした断言を、しかし、星矢は信じることができなかったらしい。

「どーすんのか知ってるのか? 受けならマグロ状態で寝てるだけでもいいけど、攻めとなるとそうはいかねーぞ」

よりにもよって星矢に、まるでどうしようもない怠け者のように言われてしまい、働き者の瞬はますます意地になった。

「ぼ……僕、マグロなんかしてないっ! 氷河はいつも僕にあれしろこれしろってうるさいんだからっ!」

「…………」



話が妙な方向に進みつつある。
しかし、なにしろ今の瞬は酔っ払い、自分が何を言っているのかわかっていないに違いなかった(と思いたい)。

自分が口にしたセリフのとんでもなさに気付いた様子もなく、酔っ払い瞬は真剣そのもの、シリアスの極致である。


超シリアス&真剣な面持ちで、瞬は、そして、高らかに宣言した。

「氷河が…氷河がやり方を教えてくれるんなら、僕は今夜、攻めをやるっっ!!」
――と。



「…………」
「…………」
「…………」


聖闘士なりたて・ほやほや時点で己れの師の聖衣を砕き、本気で怒れば神より強く、冥界の王ハーデスにその依り代として選ばれるほどの器を持ち、名だたる聖闘士の中でも(もしかしたら)最強と噂されながら、反面、ジュネが相手でも見事に受けを務めあげるだろうというのが専らの評判だった瞬のその言葉に、星矢と紫龍と瞬の兄はまたしても揃って言葉を失った。

氷河は――第三者でない氷河だけは、しかし、それでも平気の平左。
その冷静この上ない態度は、氷河は自らの身に迫り来る危機に気付いていないのかと、星矢たちを訝らせるほどだった。







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