「おまえが俺の恋人だったらよかったのに」 氷河のその言葉に、瞬はぎょっとして顔をあげた。 外見だけは異邦人の仲間の、とんでもない発言に驚いて。 「氷河、暑くて、アタマおかしくなった?」 「冬場より、少し」 「だろうね。やめてよ、そういう冗談は」 熱射病でブッ倒れるという聖闘士として恥ずべき真似をしでかして、自室のベッドに横になっている氷河を、瞬は軽く睨みつけた。 だが、その手だけは、氷河の悪質なジョークの後でも変わらず、優しい仕草で、この情けない仲間の介護のために動いている。 氷水で冷やされた冷たいタオルを瞬のその手から受け取って、氷河はそれを自分の喉許に押し当てた。 「いや、天秤宮の時もそうだったが、俺はいつもおまえの手を煩わせてばかりいるからな。恋人でも兄弟でもないのに」 そんな理由から氷河は“男同士の恋人”などという馬鹿げた発想に辿り着いたのかと、瞬は少々呆れ顔である。 「仲間でしょ、僕たちは」 瞬は当たり前のことのようにそう告げた。 だが、氷河にとっては、それは当たり前のことなどではなかったのだ。 「しかし、いつも面倒をかけるのは俺の方だけで、俺はおまえに何もしてやれない」 「僕は、何かをしてもらいたくて、氷河の世話を焼いてるわけじゃないの」 「だが、普通は……」 ――言いかけて、氷河はその先を言い澱んだ。 瞬が、氷河らしくないその様子に、首をかしげる。 「普通は……何?」 「いや……だから……」 言いにくそうに、氷河は、自分の枕許に立つ瞬を上目遣いに見やった。 「普通、人間が他人に親切にするのは、何かを期待してのことだろう? 物や行為じゃなくても、いい奴だと思われたいとか、感謝されたいとか」 氷河が言い澱んだのは、瞬がもし“そう”だった時、瞬の親切を自分が皮肉る結果になるかもしれない――と思ったからだった。 もし“そう”だったとしても、瞬の親切を嬉しく思っている自分を、瞬に誤解されたくなかったのだ。 しかし、瞬は、氷河の言葉を言下に否定し、氷河の不安をあっさりと消し去ってくれた。 「馬鹿みたい。そんなこと期待して人の世話なんか焼いてたら、いい人だと思ってもらえなかったり、謝意を返してもらえなかったりした時にがっかりするのは僕自身じゃない」 「しかし、普通は――」 瞬のその返事だけで氷河には十分だったのだが、つい反論しかけたのは、氷河自身が“普通”の人間であるせいなのかもしれなかった。 瞬が、氷河の言葉の先を遮る。 「“普通”はどうなのか、僕は知らない。でも、もし僕が、自分が他人にどう思われるのかを考えて行動する人間だったら、僕は、まず最初に兄さんを拒否するよ。“僕が弱い聖闘士だと思われるから”僕を助けに来るのをやめて……って」 「なるほど」 かなりの間を置いてから、氷河は得心して頷いた。 それは確かに瞬の言う通りである。 瞬は、本当は、独力で闘いに勝てるだけの力を持っているのだ。 「しかし、俺が勝手におまえの親切に感謝するのは構わないんだな?」 「期待してなかったことだから、望外に嬉しいよ」 「そうか」 それだけのやりとりで、自分の謝意は瞬に通じたのだろうと判断して、氷河は『ありがとう』とは口にしなかった。 代わりに、この、自分の“仲間”だという、優しい手をした小柄な少年の顔を見詰める。 瞬は、不思議な微笑を氷河に返してよこした。 不思議――。 そう。 瞬は、不思議な存在だった。 “普通”の人間である氷河にとっては。 幼い頃、ただの泣き虫だと思っていた小さな少年が、いったいどこでどんなふうに、こんな優しさを――強さと同義の優しさを――その身の内に育んできたのかと、瞬はいつも氷河を戸惑わせる。 |