世界情勢がそんなことになってるとは露知らず、一輝と氷河の睨み合いは一時間を越え、いわゆる千日戦争突入の様相を呈し始めていた。 人気のなくなった江ノ島海岸は青銅聖闘士たちの貸切状態、紫龍と星矢は芋たちのいなくなった海岸で伸び伸びと泳ぎまわり、時々飛んでくるイカ焼きを食い、焼きトウモロコシを食い、至極ご満悦だった。 「なあ、紫龍。要するにさぁ、瞬がももパン穿いて、氷河が黒ビキニ穿いて、一輝がしましま水着を着りゃいいだけのことなんじゃねーか? なにも、湘南海岸をアンドロメダ島状態にしなくてもさー」 「うむ。全くもってその通りだ。が、まあ、いいじゃないか。それはもう少し泳いでから教えてやろう」 ――と、呑気に構えている二人をよそに、瞬ひとりが、一輝と氷河の睨み合いにはらはらしまくっている。 「氷河、兄さん、やめて。二人とも仲良くしよーよ、ねっ」 自分の悲痛な訴えが、はたして兄と氷河の耳に届いているのかどうか、それは瞬にもわからなかった(常識的に考えて、それは届いていないと考える方が正しいだろう) それでも、二人の身を案じて、懇願を続けずにはいられない瞬だった。 「しゅーん、そんな奴等ほっといて泳ごうぜー。イカ焼き食うかー」 ひとしきり泳いで満足したらしい星矢が、砂浜の瞬の許に駆け寄って来る。 彼は、海水浴場を専有できる幸運を、ひたすら素直に喜んでいるようだった。 「星矢、なにそんな呑気なこと言ってるの!」 と、一応、瞬は星矢をたしなめた。 が、星矢が両手に持っているイカ焼きを見て、瞬は気が変わったらしい。 なにしろ、瞬の海水浴の目的は、泳ぐことなどではなかったのだ。 泳ぐのが目的なら、それは城戸邸にある競泳用プールで十分に事足りるのである。 「僕、アイスクリーム食べたいな。メロンとバナナのシャーベットのやつ」 瞬の海水浴の目的は、↑ だった。 だったのだが。 「あ、わりー。イカ焼きとトウモロコシしかねーんだ。アイスクリームはさぁ、氷河と一輝の作った竜巻でみんな飛び散ったみたいでさー」 「え……」 肩をすくめた星矢にそう言われた途端に、瞬は泣きそうな顔になった。 「そんな! だって、海水浴来たら、冷えたスイカとかき氷とアイスクリーム食べなきゃならないでしょ! そんなの世界の常識だよ!」 瞬の常識は、もちろん世界の常識である。 瞬に異議を申し立てるような無謀に挑むほど無思慮ではない紫龍が、気の毒そうに、泣きべそをかいている瞬を見下ろす。 義と友情の人・紫龍は、白い安手のプラスチックトレーを差し出して、瞬を慰めようとした。 「残念だったな、瞬。焼きソバの残骸ならあるぞ? ちゃんと紅生姜は除いてある」 紫龍の親切この上ない言葉は、しかし、瞬の耳には届いていなかった。 当然である。 瞬にとって、アイスクリームは、焼きソバの1億倍もの価値がある、海水浴最重要アイテムだったのだ。 「アイスクリーム……僕の……」 「瞬?」 「僕のアイスクリームがっっっ!!!!!!!!」 愛するメロン味とバナナ味のアイスクリームが、この海水浴場からすべて消え失せたという衝撃の事実を知らされた瞬――アンドロメダ星座の聖闘士――は、三段跳びで本気になった。 なにしろ、アイスクリームが――瞬にとって、海水浴最大の楽しみだったアイスクリームが食べられなくなってしまったのである。 他ならぬ兄と(男の)恋人が、瞬の海水浴必須アイテムを瞬の手から奪い去ってしまったのだ。 それは罪である。 原罪にも罪障にも勝る罪。 その罪を犯した者は、兄だろうが、恋人だろうが――たとえ神であったとしても――許されることがあってはならない。 瞬は、自分の意思では抑えきれない怒りに燃えて、今は仲間の他に誰もいない湘南江ノ島の海岸の砂を踏みしめた。 |