「おお、ロミオ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの」

瞬の声は悲痛だった。
スカートの裾捌きに慣れるようにと、ルネサンス期イタリア風のハイウエストのドレスを着せられてしまったことへの嘆き、腹が立つほどにそれが似合ってしまっている情けなさ、そんな格好で人前に出なければならない自分への同情――。

それらの感情が見事なまでに演技の中に昇華され、瞬の切ない表情は真に迫っている。
まだ舞台稽古初日だというのに、瞬の演技は既に完璧だった。

「名前とはいったい何? バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても、美しい香りはそのままです。だから、ロミオというお名前をやめたところで、あの非のうちどころのないお姿は、呼び名はなくてもそのままのはず。どうか、その名をお捨てになって……」

障害多い初恋の切なさに身も世もなく嘆き悲しんでいる(ように見える)瞬の前にやってくるのは、当然、タイトルロールの片割れであるところのロミオである。

それは、瞬がジュリエットならロミオは当然俺だとばかりに、氷河が無理やり奪い取った役だった。

瞬といちゃついている時間を削られることになるのであるから、歌劇団での仕事(?)に最も強硬な抵抗を示すだろうと思われた氷河は、だが、大方の予想に反して、存外素直に舞台に立った。
無論、『素直に舞台に立つこと』と『演ずることに熱意を示すこと』は全くの別物である。更に言うなら、それはまた、『演技が巧みであるということ』とも激しく乖離していた。

舞台の袖から出の指示を出されて、バルコニーの下に登場したのはよいが、氷河の口からは一向にセリフが出てこない。

『氷河! 忘れたの? 「向こうは東。さすればジュリエットは太陽」だよ!』
瞬の助け舟など、氷河には何の意味もなかった。
氷河の口から出てきた第一声は、
「なんで、ロミオというのは、こんな間抜けな服を着てるんだ?」
――だったのである。

「…………」
ジュリエットに何が答えられるだろう。

言葉を失った瞬の代わりに、舞台監督のシャイナの怒声が飛んでくる。
「キグナスーっっっ !! この大根以前のボケナスがーっっ !!  ここんとこは、シェイクスピア俳優でなくてもそらで言えるくらい有名なセリフだよーっっっ !! 」

額に青筋を立てているシャイナの怒りを逸らそうと、瞬が慌てて次のセリフに進む。
「ま……まあ、ロミオ様。いったいどうしてここに? 周りには高い塀がありますのに」
「俺は聖闘士だぞ。大道具のちゃちい塀くらい、簡単に飛び越えられる」
「…………」

もはや処置なし、救援は無意味。

「キグナスーっっ! 『恋の翼で飛び越えました』だよっ、このボケがーっっ !!!! 」

親にも罵倒されたことのない氷河としては、シャイナのヒス気味の大喝は不愉快極まりないものだったろう。彼は、指示されたセリフも口にせず、ムッとしたままバルコニーに跳躍し、そのままその場で瞬を押し倒してしまったのである。

「わーん、氷河、ここじゃダメだってばー !! 」
ジュリエットの悲鳴にも、氷河はどこ吹く風である。
「しかし、お互いに好き合ってるのがわかったら、こうするだろう、普通」

それは氷河の“普通”である。

「こ……こンの好色スケベのアホウ鳥がーっっっ !!!!!! 」
シャイナの怒声には、多分に、彼氏いない歴十数年のやっかみも含まれていたことだろう。
なにしろ、彼女の意中の人は、演技力皆無を買われてキャピレット家の“風にそよぐ立ち木”の役をあてがわれ、紫龍と共に舞台の隅でぴょんこぴょんこと飛び跳ねるだけ、怒鳴りつけて可愛がることもできないのだ。


そこに現れたのは、蔦葛歌劇団の発起人にしてオーナー、元凶にして首魁の女神アテナである。
彼女は氷河の暴挙にも嫣然と微笑み、あっさりと言ってのけた。
「あら、面白い解釈ね。そういうストーリーにしちゃってもいいわよ。原作にこだわる必要はないわ」
「アテナ! しかし、それでは……」
「いーのよ、どーだって。世間の話題になるには目新しさが必要だし、大衆に受けるには下世話な要素は必要悪よ。とにかく、受けて儲かりさえすれば、財団内の頭の硬い幹部連中も文句は言えないはずなんだから」
「はあ……アテナがそうおっしゃるのでしたら、私は何も言いませんけど……」

さすがのシャイナも沙織には我を通すことはできない。
なにしろ生活力の無さでは、彼女も星矢たちと同様で、沙織の――しいては、グラード財団の――援助なしには食べるものにさえ事欠くことになるのだから。

88人もの甲斐性なしの聖闘士を抱えた沙織は沙織で、グラード財団内部において、結構大変な立場に立たされているのかもしれない。自分の聖闘士たちを守るために、アテナはアテナなりに頑張ってるのかもしれなかった。


とにもかくにもそういうわけで、バルコニーのシーンは氷河の“普通”通りに進められることになった。当然のことながら、本来は切ない別れの場面も、ロミオは、愛するジュリエットとの××に満足しきって浮かれて帰ることになる。

そして結局、蔦葛歌劇団の初公演『ロミオとジュリエット ミレニアム』は、すべてが氷河の“普通”にのっとって展開されることになった。



「このロミオという男はどうして、そんな馬鹿な真似をするんだ」
氷河のその一言で、ストーリーはどんどん変わっていく。

最初の通し稽古が終わりを迎える頃、ロミオはジュリエットを6回も押し倒し、ジュリエットの従兄弟のティボルトはおろか、彼女の親の決めた婚約者パリスも、モンタギュー家の者もキャピレット家の者もロレンス神父までもが全てロミオに殺されて、ラストシーンで生き残っているのはロミオとジュリエットただ二人。
悲劇なのか大団円なのか、渦中のジュリエットにすら理解不可能な状況になっていたのである。

それでもとにかく悲劇にしなければと義務感に燃えた瞬が、登場人物の死を嘆き悲しんで短剣を胸に突き刺そうとすると、その手を押しとどめた氷河が、7回めの押し倒しシーンを演じ始める始末。

「ロミオーっっ !!  もういー加減にしてよーっっ !! 」

というジュリエットの悲鳴で幕をおろす蔦葛歌劇団の『ロミオとジュリエット ミレニアム』は、しかし、予想外の大当たりをとることになったのである。





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