「人からも天使からも、どうして消せないんだ! 愛というものは!」 堕天したかつての大天使長は、引き裂かれたシュンの魂を見て、悔しそうに呻いた。 まるで、自分の内に残っている“愛”を憎むかのように。 『天上にいるあの御方が、我々をそう造ったのだ。仕方あるまい』 地獄の界の最も深い場所から、シュンの兄の声が、地獄の王のもとに届けられる。 『弟は、決してあの男を堕落させたりしないと言っただろう。賭けは俺の勝ちだ』 弱ってはいたが、その声には自信と誇りが満ちていた。 地獄の王は、その自信に、忌々しげに舌打ちしながら、シュンの兄の声に答えたのである。 「……よかろう、約束通り、おまえは地下界から解放してやろう」 『シュンは』 自信に満ちていた座天使の声に、ほんの少し懸念の色がかかる。 「……人間を堕落させようとしたんだ、天には戻せまい」 『――粋な計らいだな、地獄の王にしては』 地獄の王の言葉に、シュンの兄は微笑したようだった。 「天上界・地下界の記憶は消すぞ。いいのか、それで」 『俺のことなど憶えていない方がいいだろう』 「…………」 その光を守るために、自らを地獄の苦しみに任せるほど愛した弟。 その弟の幸福のために、弟の中の自分を消すことさえためらわない心。 それこそが、地獄の王の最も嫌悪する“愛情”というものだった。 だが、今回は――今回も――彼は、“それ”に負けたのである。 そして、彼は、不思議なことに、最初からその結末がわかっていたような気もしていた。 「シュンは何者だ? なぜ天上のあの御方は、あんなちっぽけな天使ごときに自由意思をお与えになったんだ!」 闇の獄から抜け出て天上に還ろうとしている座天使の長を引き止めて、地獄の王は尋ねた。 『――粋な計らいの礼に教えてやろう。シュンの自由意思は、人間の瞬の死後、授けられたんだ。あまりに綺麗な魂だったので、神が殊の他愛でられた』 「あれは“瞬”の魂か……!」 そうして、地獄の王は、自分が何をしていたのかを知ったのである。 「ば…馬鹿馬鹿しい! 私はたかが人間の恋人同士の橋渡しをさせられていたのかっ!」 『貴様も、堕天使というからには、元天使なんだ。たまには人のためになることをしてもよかろう――と、天の御方も考えられたんだろう』 「…………」 地上は聖夜。 地獄の王が憎んで余りある“神の子”の生まれた夜。 忌々しくはあったが、1000年に1度くらいなら、人間のために働いてやるのもよかろうと自分の心をなだめて、地獄の王は瞑目した。 |