「とんでもないスキャンダルだな」

氷河の千載一遇のチャンスを邪魔した閃光は、カメラのフラッシュだった。
仮眠室のドアの前に、つい先程まで、瞬のための地道な作業を地道に続けていた鬼マネージャーの嫌味たらしい顔がある。

「さて、どれほどの値で売れるものかな。城戸瞬と男の濡れ場となったら、テレビ局から出版社まで、喉から手を2、3本出してくるところが腐るほどあるだろう」

「し……紫龍……!」

頬を染めてベッドの上に身体を起こした瞬に責め咎めるように名を呼ばれた途端、鬼マネージャーが大仰に肩をすくめて、表情を和らげる。
「冗談だ。こんな写真を公開してみろ。その日のうちに、こいつはおまえのファンたちに殺されているだろう。俺は、利用価値のある男は殺さない主義だ」

「なに?」
紫龍が何と言ったのか、その音は聞きとれても、言葉の意味を読み取ることは、氷河にはできなかった。

利用価値――と、その長髪男は言ったのだが。


「瞬の今度の新曲が『らいおんハート』という曲なんだ」
「それがどうしたと言うんだ」

そんなことは人の恋路を邪魔する正当な理由にはなり得ないし、それで自分にどんな利用価値が生ずるのかも、氷河にはわからなかった。

「で、雰囲気を出すために、見てくれのいい金髪の男を一人バックに探していた。あいにく、瞬はライオンハートってイメージじゃないからな。幸い、貴様はキーボードもベースもできるらしいし」 

いつの間に調べていたのかは知らないが、紫龍の言ったことは事実だった。氷河は、取材費用捻出のために、金になることならこれまで何でもしてきていた。

が――。

「ちょっと待て、俺の本業は風景専門のカメラマンで、今は瞬のスキャンダルを探っている三文週刊誌の記者なんだぞ」

氷河の異議申し立てなど、紫龍は受け付けるつもりはないらしい。
彼は氷河の反駁を無視して、小脇に抱えていた楽譜を氷河に向かって投げてよこした。

「編集長と個人的に契約しただけで、正式な社員でも何でもないんだろう?」
「…………」
「最初のフレーズだけ、瞬を見て歌ってくれればいい。『君を守るために生まれてきた』から『眠った横顔 ふるえるこの胸 ライオンハート』まで。今の貴様なら地でいけるだろう」

「……『眠った横顔』を見損なった。貴様の無粋のせいで」

何故そんな無粋な男の要請に応えなければならないのかと言外に告げた氷河の拒絶を受けて、しかし、このやり手のマネージャーは実に魅惑的な交換条件を持ち出し、氷河に揺さぶりをかけてきた。

「『ライオンはーと』が一千万枚売れたら、瞬に1日、オフの日を作ってやろう。瞬は今日は、数時間後にテレビの収録があるんだ。その後にレッスンが2時間。貴様とそーゆーことをしている暇はない」

「……紫龍、そんな、あの……」

それまで、ベッドの上で身体を縮こまらせて氷河と紫龍のやりとりを聞いていた瞬が、切なげに眉根を寄せて、二人の間に割って入ってくる。
それから、瞬は、
「あの、八百万枚にして……」
と、頬を真っ赤に染めて、紫龍に訴えた。

「今までのアベレージじゃないか。そんな賭けは無意味だ」

瞬の提案をあっさり却下した紫龍に、氷河が真顔になって確認を入れる。
「一千万枚を売ったら、本当に瞬にオフの日を作ってくれるんだな」
「俺は約束は違えん」

おそらく、それは紫龍の目論見通り、予定通りの返答だったのだろう。
氷河の念押しににこやかに頷いてから、紫龍は、また軽く肩をすくめた。

「しかし、貴様も呆れた度胸だな。瞬は、城戸財閥の御曹司だぞ。貴様の雇われた三文週刊誌を出している出版社はその系列会社だろうが。瞬の醜聞なんかで売上部数を伸ばしでもしたら、瞬の兄に会社ごと潰されかねないし、瞬の兄に睨まれたら、日本国内に貴様の写真を発表できる場はなくなるぞ」

「…………」

一瞬、氷河は絶句した。
城戸財閥グループと言えば、銀行を基幹会社にし、家電・出版からコンピュータのハード・ソフト、映画・音楽等のエンターティメント部門までを網羅する、世界規模の一大複合大企業ではないか。

「き……城戸財閥の御曹司?」 

「城戸の御曹司が見世物になってるなんて公表もできないから、極秘にしてあるがな」
氷河の驚きをよそに、紫龍の口調は実に軽いものだった。


「一介のカメラマンが瞬に手を出したなんてことを瞬の兄が知ったら、貴様は明日にも東京湾に浮かぶことになるぞ。命が惜しかったら、せいぜい頑張って、その歌をマスターするんだな。そうすれば、瞬の兄には内緒にしておいてやろう。俺も鬼というわけじゃないからな」

「…………」

鬼が、皮肉な笑みを浮かべて、勝ち誇ったように告げる。



氷河に選択の余地はなかった。





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