「おい、瞬……。氷河の奴は暖簾に腕押しで話になんねーから、おまえに訊くんだけどさぁ」
「いったい、何があったんだ?」

瞬が、タッグを組んでそう尋ねてきた星矢と紫龍に喧嘩の原因を明かしたのは、彼等に問い詰められたからではなく、おそらくは瞬自身が誰かにその訳をぶちまけたい気分だったからなのだろう。
しかし、ぶちまけられてしまった星矢と紫龍の方は、ぶちまけられたせいで、ますます事態の把握ができなくなってしまったのである。

瞬の怒りの訳は、
「……氷河がバイトを始めたんだ」
だった。

「バイト? 何でまた」
紫龍の疑念はもっともである。

城戸邸で生活している青銅聖闘士たちは、城戸沙織から――要するにグラード財団から――生活に必要な経費はいくらでも引き出すことができるようになっていた。
名目は、グラード財団の孤児育英基金。

未成年者に休憩時間も与えずに終日、安全及び衛生の気配り皆無の職場で、健康や福祉に思いきり有害な労働をさせ、修業時間外どころか修業させた形跡もない――となれば、これはどこから何をどう見ても労働基準法違反である。下手をすれば、未成年者略取・誘拐の罪で刑法にも払拭しかねないシステムなのである、アテナの聖闘士という“仕事”は。

それを、グラード財団は、税金対策を兼ねた文化福祉事業にすることで、法と世論の糾弾を免れている。

であるからして、これまで星矢たちは、“お小遣い”に不自由したことは一瞬たりともなかったのである。


「……僕の誕生日のプレゼントを買うためだって」
「ああ、そーいや、明日だっけ、おまえの誕生日。氷河の奴、グラードからの金でおまえへのプレゼント買ったりしたくなかったんだろーなー……って、それで何で喧嘩になるんだよ!」
星矢の疑念も、これまた実にもっともである。

しかし、瞬には瞬の理論があった。
「なるよ! 誕生日のプレゼントを買うために、夜のバイトなんか始めて、僕を放っぽっとくなんて、本末転倒じゃない!」

「夜のバイト?」
「それは、やはり、あー、ホストか何かなのか…?」
「そりゃあ、瞬が怒ってトーゼンだよなー」
「うむ。それはどう考えても氷河が悪い」

二人して頷き合う星矢と紫龍を、瞬が頭ごなしに怒鳴りつける。
「なに勝手に話作ってるのっ !! 」

「氷河の仕事ったら、それしかねーだろ。え? 違うのか?」
「違います !! 」
「ホストじゃねーとしたら……どっかの冷凍倉庫か何かで人間冷凍庫でもやってんのか、氷河の奴」
「星矢、氷河に冷凍マグロの世話をさせる気っ !? 」
「じゃあ、何なんだよ〜;;」

氷河にできる夜の仕事といったら、他には道路工事のバイトくらいしか思いつかない。
しかし、星矢はその件を口にするのを賢明にも避けた。
その仕事は、あまりにも現実的すぎてシャレにならないのだ。

「用心棒だって……」
「用心棒?」
「広域指定暴力団の人に立ち退きを迫られて困ってる無許可の――営業許可申請中の――夜間託児所の――」

「…………」

いったい氷河がどこからそんなバイトを見つけてきたのか、星矢にはとんと合点がいかなかった。
が、それは、人助けにもなり、人間冷凍庫よりはましな仕事である。

星矢は、瞬の怒りの訳がますますもってわからなくなった。
「なら、いいじゃんか、素直に喜べば。ヤクザのおにーさん方なんて、氷河にかかったら、ミジンコも同じだろ。そりゃ、毎晩放ったらかしにされてたら、おまえはアタマくるだろうけど、結局はおまえのためなんだしさー」

それは、しかし、星矢の考え方である。

「僕がいちばん許せないのはね! 他の誰かならともかく氷河が、他の何かならともかく僕への誕生日のプレゼントに、お金をかけたものを贈ろうとしてるってことだよ!」

「なんでそれが許せねーんだよ? いいじゃん。自分で稼いだ金で、おまえへのプレゼントを買う! これが、請求書かなんか貰ってきて、財団にプレゼント代請求したりなんかした日には、俺も氷河の神経疑うけどさー」

考え方と感じ方は、立場や経験によって人それぞれなのだ。

「だって……誕生日って毎年くるものじゃない」
「……? まあ、フツーは」
「ねえ、人間には欲ってものがあるよ」
「あるだろーな」
「今年5000円の花束を貰ったとするよね」
「へ? ああ」
「来年も5000円の花束だったら、星矢、どーする?」
「まあ、芸がないなーと思うかな」

「でしょう? 一度5000円の花束を貰った人は、次には10000円の花束じゃないと喜ばないものでしょう。毎年来る記念日にそんなもの……。人の欲に際限がないことを知っていたら、いつまでも一緒にいたいって思う相手に値段のあるものなんて贈らないよ……」 

――というのが、瞬の考え方、だった。

だが、星矢には、瞬のその考え方は特殊に過ぎるような気がしたのである。
「んなことねーだろ。金でプレゼントを買うのって、すげー一般的じゃん」

「僕を放っておいて……」

「何かしたかったんだろ、おまえのために」
「僕のために何かしたいのなら、僕の側にいてくれたらいいじゃない!」
「……それって、何かしたことにならねーじゃん」

どう考えても、瞬は拗ねているだけである。
星矢には、そうとしか思えなかった。

「忘れられてるよりいいだろ?」
「僕は! 誕生日の朝起きて、『おはよう』の代わりに『おめでとう』って言ってもらえるだけで嬉しいのっ!」

「……は……欲のないこって……」

もはや処置なしといった顔で、星矢は大袈裟に肩をすくめた。


「――まあ、価値観の相違だな。氷河は『おめでとう』だけでは、お手軽すぎて喜んでもらえないだろうと思ったんだろうし、おまえは――」
それまで、脇で星矢と瞬のやりとりを黙って聞いているだけだった紫龍が、初めて口を挟んでくる。

「特別の何かなんていらないもん!」

氷河の気持ちや星矢の理屈が、瞬には本当に理解できていないようだった。
「そんなの、いらない……。いらないって言ってるのに、どうして氷河は、あんなに意地を張るの……」


「そりゃあ……だから、おまえのために、何かしたいからだろ」

星矢の声から徐々に力が抜けていく。
星矢は、間違っているのは、自分の方のような気になり始めていた。





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