「結局、香りじゃなく、名前で選んじゃった……」

春麗の二番煎じと思われてしまうかもしれない――という危惧がないでもなかったのだが、事実そうなのだから仕方がない。
甘いものが苦手な氷河なら、チョコレートを贈られるよりは喜んでくれるだろうと思いながら、瞬は帰途に就いたのである。

もっとも、瞬は、本当は、氷河には人工の香りなど身にまとわないでいてほしいと思ってはいたのだが。


「氷河は雪の匂いがするんだよね……」

『なんとか今日に間に合った』と、安堵しながら帰りついた城戸邸の門。
バレンタイデーの夕暮れの空は、今にも雪が降り落ちてきそうな曇りガラスの色。

その空を見上げながら瞬が呟いたそれは、確かに独り言だったのだが。

「おまえは、花の匂いがするぞ」

――と、雪の代わりに突然降ってきた氷河の声のせいで、瞬の独り言は独り言ではなくなった。

「わ、びっくりした!」

振り向くと、そこには、彼自身は本当は必要としていないのだが、周囲の人間に奇異の念を抱かせないためだけにコートを身に着けた金髪の男が立っていて、彼は驚きに瞳を見開いた瞬の髪に手を伸ばしてきた。

「あ、氷河も出掛けてたの? 今、帰ってきたとこ?」
「ああ、おまえへの……」

撥ねあがった心臓に手を当てて瞬が尋ねると、金髪男は、目だけで作った微笑を瞬に返してよこした。
「おまえへのバレンタインデーのプレゼントを買いに出てたんだ」

その言葉に、瞬もまた瞳を輝かせて、氷河を見上げる。
「わ☆ 今年はどこのチョコ?」
「いや……」
「……?」 

少しの間をおいてから、らしくもなく口ごもって、氷河がコートのポケットから小さな箱を取り出す。
「他人の二番煎じと思われるかもしれないとは思ったんだが……」

例年であれば、氷河から瞬へのバレンタインデーのプレゼントは、コートのポケットなどには収まりきらない特大のチョコレートだった。
それが、今年は随分と小さい。

瞬は怪訝に思ったのは、一瞬のこと。
氷河の手の平の上にある小さな箱の見覚えのあるカルバン・クラインの細いテープリボンに、瞬は息を飲んでしまったのである。
「…………」

少々、悪い予感がした。


「氷河、これ、開けてみてもいい?」
「ここでか?」
「うん」

いつになくせっかちな瞬の態度を訝って、氷河は微かに眉根を寄せた。
が、瞬は、そんなことに構ってなどいられなかったのである。

同じカルバン・クラインの商品でも別の小物や、香水にしても他の銘柄なら問題はない。
しかし、万が一、氷河のプレゼントが自分の買ってきたプレゼントと同じものだったなら、すぐに別のものを買いに出なければならないではないか。

バレンタインデーの日は暮れかけている。
今日までバレンタインデー一色だった多くの店は、とっくにホワイトデー商戦に向けての準備に入っているに違いないのだ。

(違うもの…! 違うものでありますように!)

だが、悪い予感というものは、大抵の場合、悪い意味で当たってしまうものなのだった。

「あ……」
瞬は、目の前に現れたオブセッションの、見忘れようもない印象的なデザインのボトルを見て、落胆のあまり、すとん☆と肩を落としてしまったのである。
これは、即座に光速以上のスピードで180度反転しなければならない事態だった。

「どうした、嫌いなのか、おまえ、香水」

瞬が、プレゼントを受け取った時にそんな反応を示したことは、これまで一度もなかった。
バレンタインデーに限らず、誕生日でもクリスマスでも。
そして、氷河からのものに限らず、紫龍からのものでも星矢からのものでも。

「違うの。僕、ちょっと、忘れ物思い出した。また出掛けるから!」

瞬がプレゼントを贈られて、贈り主に『ありがとう』の一言も返してよこさないとは、尋常のことではない。
氷河は、今辿って来た道を引き返そうとした瞬の腕を、瞬の逸る気持ち以上の速さで素早く捕えた。

「瞬。嫌いなら、別のものを」
「ち…違うの、そうじゃないの」
「違うなら、何故」

氷河の右手は、彼の納得する理由を聞くまでは捕えたものを解放してくれそうにない。
困ったように氷河の顔を見上げ、刺すように鋭いその瞳の色の深さを認めて、瞬は――瞬は、この場は観念するしかないことを悟ったのである。
悟って、新しいプレゼントの購入を諦め、瞬は自分の買ってきたものを氷河の前に差し出した。


『 OBSESSION 〜離れられないもの〜 』――を。






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