「それはどうかわからないよ、氷河」 思わず微笑んでしまいそうなほどに不器用で可愛い子供。 瞬は、妙に気まずそうな顔で瞬と視線を合わすまいとしている氷河の様子に、微苦笑した。 「氷河の先生は、たとえ結ばれることがなくても、死んでなお愛し続けることができるほどの人に巡り会えたんだよ。それは幸運なことだと思わない? そんな人に巡り会えない人だって、多分、世の中には大勢いると思うよ」 瞬が、僅かに首をかしげるようにして、氷河の顔を覗き込む。 「たくさん恋をしてるってことは、たくさん恋を失ってるってことでもあるよね。もしかしたら氷河の先生のお友達は、甘えたり拗ねたりする恋の駆け引きには長けていても、『ずっと自分の側にいてくれ』っていう気持ちを口にすることができない人だったのかもしれないよね。どちらがいいとは言えないし、そんなことで、氷河の先生を不幸な人だと思うのは失礼なことでしょう。氷河の先生がそんなに愛した人なのなら、その女性はそれほどに素晴らしい人だったんだろうと、僕は思うよ」 「瞬……」 瞬のその言葉に、氷河は瞳を見開いた。 まるで、己れの進むべき道を指し示してもらった聖パウロのように。 それは、氷河の求めていた言葉だった。 氷河は、自分の師を不幸な人間だと思いたくなかったのだ。 もう長いことずっと――。 「それとも氷河はそんなにたくさんの恋をしたいの」 「……一人だけでいい」 「なら、氷河は、氷河の先生とも、氷河の先生のお友達とも違う、氷河自身のやり方で、欲しいものを欲しいと言えばいいだけなんじゃないのかな」 氷河の“欲しいもの”が、『欲しいものを欲しいと言え』と、氷河に告げている。 その言葉に従っていいものかどうかをためらい、氷河は低く呟いた。 「俺は……喋れないと馬鹿だと思われるかと思った……」 「必要なことは言った方がいいね。でも、不必要なことまでべらべらまくしたてることはないんじゃないかな」 「必要なことだけ言えばいいのか」 「うん」 『好きだ』とは告げた。 他に何があるというのだろう――? 氷河の戸惑いを見透かしたように、瞬は瞳を和ませた。 「氷河が僕を好きでいてくれるのはほんとのことなの?」 「もちろんだ…!」 たとえ自分勝手な男と思われても、その気持ちだけは疑われたくないと言わんばかりの勢いで、氷河が断言する。 瞬はほんの少し頬を上気させてから、言葉を継いだ。 「氷河はどうして僕を好きになったの」 「ガキの頃からずっと、おまえが優しくしてくれたから」 「……それで?」 「日本に帰ってきて、あの頃より大人になったおまえに会った。おまえは綺麗になってた。ガキの頃と変わらない目をしていた。一輝のことがあって、おまえが沈んでるから慰めてやりたかった」 氷河の言葉は、ひどく朴訥だった。 そして、これが本来の氷河なのだということを、瞬は知っていた。 「心配かけたの?」 氷河が縦にとも横にともなく首を振る。 「だが、それ以上に、おまえにあんなに気にかけてもらっている一輝に嫉妬した」 「おまえの目に俺が映ってないような気がして、それが嫌だった」 「思い出したんだ、師の友人が言っていたこと。俺はおまえの気持ちを知りたかった」 だから―― 「我儘を言っても、僕が氷河を好きなら許してくれるはずだ……って思ったの?」 一瞬の間をおいてから、氷河が頷く。 瞬は小さく吐息した。 実際、瞬は許してしまっていたのだ。 氷河の我儘の訳を知る以前から。 「でも、おまえは俺じゃなくても、誰にでも優しいんだ」 「誰でも許してしまうんだ」 「だから不安で――わからなかった」 氷河は、瞬の目に、まるで悪戯を親に咎められている子供のように映った。 瞬の知っている氷河がそこにいた。 「氷河ってば、子供の頃とちっとも変わってないんだね。不器用でぶっきらぼうで」 「…………」 「泣いてる僕を慰めてもくれないくせに、僕を泣かせた相手に喧嘩を吹っかけてはひどい目に合わせてた」 「…………」 『泣かないでくれ』とは、恥ずかしくて言えなかったのだ。 『いつも優しくしてくれてありがとう』と言うのも照れくさかった。 『俺はおまえが好きだ』と言うことはおろか、知りたいことを尋ねることさえ、できなかったのだ。 臆病で不器用な子供には――。 |