風立ちぬ

〜 みしぇさんに捧ぐ 〜






『 風立ちぬ いざ生きめやも 』

車がF町に入ると、俺は、町のあちこちに堀辰雄の句を目にすることになった。

俺が信州のその高原の町を訪れたのは、決して堀辰雄の小説などに感化されたからではなかったのだが。
俺は『花』を見るために、その町に出掛けていったのだ。

人との付き合いを厭うて植物学を志し、今では『花』を撮る写真家としてそれなりの成功を収めている気楽なフリーのカメラマンの俺が、あの町を訪れたのはほんの気紛れだった。



空気が澄み、水が澄み、人が少ないために幾つもの療養所が建てられたその町は、期待に反して、ほとんど観光地化されていた。
明治から昭和初期にかけて、胸に病を患った多くの文人たちが療養のために過ごした町。
町の至るところに、彼らの歌碑や記念館が立ち、彼らにちなんだ土産物が売られている。

白樺林の陰のサナトリウム――という、誰もが思い描く風景はそこにはなかった。


記念館になり果てたサナトリウムを観光することが目的ではなかった俺は、F町の中心部を車で素通りし、町の名にもなっているF高原へと向かった。






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