「おまえは……花だ」

それが、やっとのことで氷河が見つけ出した言葉――だった。
氷河の声は掠れていた。

「花?」

「それから、星で、風で、雨で、雪で、歌で、草で、昼で、夜で、空で、海で、路で、鳥で、春で、夏で、夢で、それから俺の未来で――俺の全てだ」

瞬の魔法を解くには、その魔法から逃れるには、瞬に魔法を仕掛け返すしかない。
その反撃に多少なりと威力があったのかどうかはわからないが、瞬は、氷河を惑わすために濡れているようだった瞳を大きく見開いた。


「口のうまいお月さんだね」

呆れたような口振りだった。
ほんの少し、瞬の魔法の力が弱まったような気がして、氷河は肩から力を抜いた。

「黙っていても存在を認めてもらえる太陽じゃないから、必死で口説くしかないのさ。どんなにみっともなくても」
「夜毎、姿を変える不実な月の言葉を僕が信じるとでも?」
「欠けても再び満ちる月は、再生と豊穣の象徴だぞ」

瞬は、それまでまっすぐに見据えていた氷河の瞳から視線を逸らし、くすくすと小さな笑い声を洩らした。


「僕が氷河の側にいるのは、氷河の口がうまいからかもしれない」

「…………」

「兄さんが相手だと言葉がいらないから、何も考える必要がなくて、僕は――」

瞬は、しばし言い澱み、

「馬鹿になるからね」

そう言って、細く吐息した。

「おまえが?」

まわりすぎるほどに頭のまわるこの瞬を、“馬鹿”にできるほどの力を、たとえ瞬の兄といえども有しているものだろうか。
氷河には、そうは思えなかった。

氷河の疑念を見透かしたように、瞬が言葉を続ける。
「太陽の力をみくびっちゃいけないよ。太陽があれば、月がなくても人は生きていけるから、太陽の許では、人は生きるために何かを考える必要がなくなるの」

瞬の振り下ろす手痛い鞭と、

「僕が氷河の側にいるのは、僕が人間でいたいからだよ」

その痛み。

「ただそれだけなんだ」

その痛みのもたらす、

「でも、それ以上のどんな理由が要るっていうの」

甘い疼き。


「――人が誰かを愛するのに」

まるで何かに挑むような眼差しで、瞬は言い切った。

そして、氷河は、その眼差しに射抜かれることに、ぞくぞくするほどの快感を覚えたのである。


『アンドロメダ』とは、本来、フェニキアの海の女神の称号だと言う。
その意味するところは、『人間を支配するもの』――。


月に例えられたとしても月ならぬ身の氷河は、この海の女神に支配されるしかないではないか。






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