「……夕べ、兄さんと、ここで、今夜と同じように月を見ながら、同じようなことを話したの」

「…………」

やっと瞬を抱きしめられるかと思ったら、またしても“太陽”の話である。
氷河は、瞬の頬に触れていた右の手を、ついと宙に逸らした。

瞬が、視線で、その手を追いかける。

「奴は何を言った」

『何を』が指すものは、無論、『どんな悪口を』である。

氷河の手と指を視線で追いかけたまま、瞬は小さな声で囁きのような返事を返してきた。
「人は、月を見詰め続けてると狂うようにできてるんだから、あんまり月を見るなって」

一輝の言い草を不快に感じるより先に、氷河はその言葉を吐き出していた。
「太陽のせいで人を殺した奴を知ってるぞ」

ひどく荒々しく挑戦的な氷河の口調に、瞬が、きょとんとする。
次の瞬間、瞬は、氷河の前で思い切り吹き出していた。

「やだな、氷河。兄さんは、氷河の悪口を言ったんじゃなく、僕が氷河に取り込まれてしまうことを心配してるだけだよ」

「……おまえが俺に? 俺がおまえにじゃなく?」

瞬の言葉と一輝の懸念が、氷河は心底から不思議だった。

「氷河ったら、今日はほんとにどうしたの。氷河が僕の言いなりになってたって、兄さんがそんなこと心配するはずないじゃない」

「…………」 
それは、確かに、瞬の言う通りである。

「氷河って、存外にお馬鹿さんだね。自分の力を知らないの。知らないで、僕をこんなに惹きつけてるの」

「…………」
無論、氷河は、自分が何らかの力を有していることなど知りもしなかった。
自分が、他の誰かならともかく、この瞬に、何らかの作用を及ぼすことができるなどということは、考え及びもしないことだった。

継ぐ言葉を見失っている氷河に、瞬が呆れたような顔を向ける。


それから瞬は、また、ゆっくりと月の魔法を身にまといだした。

「月は……人を惑わす力を持ってるんだよ」


まるで、月に惑わされかけている自分自身を怖れているかのように――。






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