「お医者様、連れてきてくれたんでしょう? ごめんね、氷河。僕、氷河を待ってるって言ったんだけど、兄さんが――」 「すまなかった」 瞬は、氷河を気遣っているのか、ベッドの上に身体を起こしていた。 瞬と視線が合うなり、頭を下げることすらせずに――できずに――謝罪してくる前科者に、瞬は苦笑した。 氷河が少しばかり利口になって帰ってきたことに、瞬はすぐに気付いてくれたようだった。 「……あのね、氷河が僕を恐いなんて思うのは、氷河が誰かに愛されたがってるだけの子供じゃなくなったからだと思うの」 まるで謎かけ言葉のように言をはぐらかして、あの北の果ての地では教えてくれなかったことを、瞬が話し始める。 氷河が答えを見つけてきたことも、瞬にはわかっているらしかった。 「氷河はね、でも、愛し方がわからなくて戸惑ってただけだと思う」 「俺はおまえを愛しているつもりでいた」 愛しているつもりなのに、愛されている感触ばかりが大きいことが、氷河の不安の原因だった。 瞬の言うように、自分が愛されるばかりの子供にしか思えないことが。 「ガキの我儘だった」 「否定はしないけど、氷河は、それが我儘だってことに気付いていたから、自分に焦れてたんだと思うよ」 それは、冬の通り過ぎた大地が、春の訪れに胎動するようなものだったのかもしれない。 新しいものに生まれ変わるための胎動には、いつも痛みが伴うものなのだ。 「僕のために、あの吹雪の中、何10キロも離れたところに行ってくれたんだよね」 瞬は、大人になろうともがいている子供に、ひどく優しかった。 「ねえ、僕は心配だったけど、嬉しくもあったの。それって、言葉なんかよりずっと――」 「無意味だった」 「そんなことないよ。少なくとも、僕は嬉しかったもの」 「俺が愚かだった」 「……だから?」 「だから……?」 「だから、もう、僕を構うのはやめちゃうの?」 「…………」 そんなことができるものだろうか。 やっと見つけた春、やっと巡り合えた春、やっと理解しかけた春――を手放してしまうことなど。 「もっと大人になる」 「うん」 氷河の決意表明に、瞬が嬉しそうに目を細める。 「もう……同じ轍は踏みたくない」 これまで、いつも、愛され、庇われるばかりだった。 母親も師も、与えられた愛に何を返すこともできないうちに、失った。 同じ過ちを、瞬でまで繰り返していたら、それは真に愚者の仕業である。 「愛するものがあるってことは、その人を幸せにすることなの。氷河を愛してくれた人たちは、氷河に出会えて幸せだったと思うよ。それに――」 氷河が何のこと――誰のことを言っているのかをすぐに悟って、瞬が小さく横に首を振る。 「それに、氷河は、今、亡くなった人たちを愛しているでしょう」 「死んでから愛されても何にもなるまい」 「氷河は、自分の愛は無力だと思ってるの? それとも、愛しても愛し返されないことが辛いの?」 「そのどちらでもあった。だが、だから――」 だからこそ。 「俺も、いい加減に、愛する側にまわっていいはずだ。それも、生きている人間を」 「うん……。それって、とてもいいことだと思うよ。人間はね、多分――愛されたから愛するんじゃなくて、愛してるから愛されたいと願うのが……変な言い方だけど、正しいんだよ」 白い世界の呪縛から抜け出して、氷河は緑の大地に一歩を踏み出す。 それを優しく受けとめてくれるのが、春という季節なのだ。 「そうすれば、氷河はもっと愛される」 「おまえにか」 氷河に尋ねられて、瞬は色づき始めた春の花のように微かに頬を染めた。 ――再生の春の大地に愛される。 それは、春を愛している人間にとっては、少しも恐ろしいことではないのだろう。 人生は、愛されることと愛することではなく、愛することと愛されることでできているのだ。 Fin.
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