いずれにしても、架空庭園見物や王夫妻見物は、今後の食いぶちとねぐらを確保してからのことである。

「――とりあえず、町に行ってみるか…」

「……うん」
瞬が、今度は素直に頷く。

きついことを言ってしまったかと、氷河は少し――否、かなり後悔した。
バビロニアの王から王妃への愛の証である美しい庭園――それが、民衆の血と涙の上に築かれたものだなどということは、瞬でなくても考えたくないことだったろう。

「瞬…きついこと言いすぎた。すまん」
砂漠の焼けるような砂の上を歩きながら、氷河は瞬の顔色を窺いつつ謝罪した。

瞬が、一瞬口をとがらせる。
「氷河が謝らないでよっ。僕が馬鹿だっただけなんだからっ! ネブカドネザルなんて戦争好きで有名な王様だもの、それっくらい考え及ばない方がどうかしてるんだ…!」

「…いや、そんなことは、普通、考えないと思うぞ」
「考えない方がおかしいのっ! 僕は、あんなに戦争ばっかりしてる人でも、奥さんへの愛情は深かったんだって思って、それで、バビロンの架空庭園に興味持ったんだからっ。いくら奥さんのために綺麗な庭造ってあげたって、それが民衆に苦役を強いて造ったんだったら、ちっとも救いにならないっ!」

「…………」
瞬が何故架空庭園などに興味を持ったのか、氷河は初めて理解した。
生涯を戦いにあけくれた王の中にも人を愛する気持ちがあったことを、人は争いだけに没頭して生きていけるものではないということを、瞬は確かめたかったのだろう。
瞬らしいと思い、そして、氷河はそれ故になおさら、自分の言葉を悔やんだ。

「……だがな、瞬。だからって、ネブカドネザルの愛情が嘘だったってことにはならないと思うぞ」
「え?」
「人間ってのは大抵、自分の大切なもののために戦うもんだろ。その“大切なもの”が権力や金や自分自身だったりすることもあるが、大部分の人間は自分以外の誰かを守るために戦うんだと、俺は思う。戦いが不幸なのは、大切な人のためにすることが戦いだっていう、そのこと自体なんじゃないのか?」

「…………」
氷河の言葉を聞いた瞬がふいに立ち止まり、黙りこむ。

氷河はそれに付き合って歩を止めた。

それまで風の音もなかったメソポタミアの砂漠に、町の方角から鳥の声が聞こえてくる。
しばらくしてから、瞬は顔をあげ、氷河に微かに笑ってみせた。

「そうだね。…そうだよね。僕は聖闘士で、これまでたくさんの人と闘ってきて、だからもう、戦いを否定できるような綺麗な理想主義者じゃいられないけど、だからって人間らしい感情まで失ったりはしてないもの。きっと誰だって、ネブカドネザル王だって同じだよね」

「…………」
それでも瞬は理想主義者だと、氷河は思う。
綺麗な理想主義者ではなく、現実を知っていてなお理想を捨てきれない理想主義者――平たく言えば、諦めが悪いのだ。

瞬は、現実と人間とを諦めてしまえずにいる。
終わらない戦いに、いつか終止符が打たれると信じている。
アテナの聖闘士には全員にそういうところがあったが、闘いを厭う気持ちが強いだけに、瞬のそれは際立っていた。

現実に失望し、もう人間を見限ってしまおうと思うたびに、氷河は瞬を見て、そこに希望を見いだしてきた。
そして、氷河は、人間は絶望より希望を求める存在だということを、瞬によって知らされたのである。

――だから氷河は瞬を求めているのだった。


「行こ、氷河。バビロンの都って、紀元前六世紀頃には世界で一番栄えていた町のはずだよ。やっぱ、ネブカドネザル王のお后様って見てみたいもん。絶対、美人だよね!」
落ち込みから浮上してくれた瞬が、突然軽快な足取りで先を急ぎ始める。

「美人だったら、どーだっていうんだ」
氷河は慌ててその後を追った。

「氷河より美人かどうか確かめてみたいんだよ。僕、氷河より綺麗な人、見たことないから」

「…………」
もしかするとこれは褒め言葉なのだろーか? と、氷河は一瞬戸惑った。
だが、すぐに、たとえ褒め言葉だったとしても喜べるものではないということに気付く。

「瞬、おまえ、面食いか?」
「? 違うと思うけど?」
「……だよな…」

瞬がもし面食いなのだとしたら、氷河とて、こんな長い片思いはせずに済んでいたはずなのである。

瞬の返事にがっくりと肩を落として、氷河は再び、急に重くなってしまった足を前に運び始めた。






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