reason to be


〜 balbatosさんに捧ぐ 〜







「あれー、氷河、何だよ、そのカッコ。葬式か結婚式にでも行くのかー?」

“彼”は、暑い真夏の午後に、汗ひとつかかず、随分と良い仕立ての三つ揃いを身にまとっていた。
彼が着ていたのは、ブラックスーツではなく、ましてや正装にも礼装にもなっていない代物だったのだが、スーツなど着たことも食べたこともない星矢に、その区別がつくはずもない。

「つーか、いつのまに髪切っんだよ。なんか、目つきまで三白眼ぽくなっちまって、どこぞのスパイかヤクザ屋みてーじゃん!」
城戸邸の玄関ホールに能天気な声を響かせた星矢は、その右手に大玉のスイカをぶらさげていた。


「星矢」
彼と対峙していた紫龍が、星矢に目配せをし、僅かに首を横に振る。
が、直情径行・単刀直入が身上の星矢に、そんな、もってまわった合図の意味が読み取れるはずがなかった。

「紫龍、こいつ、どーしたんだよ。まさか、瞬の奴、『悪党面が素敵〜』なーんて馬鹿なこと言って、氷河をその気にさせたりなんかしたんじゃないだろーな!」

紫龍は、星矢を制止するのを早々に諦めた。

「器用だな〜、目つきまで違う。おい、氷河、ほんとにクールに見えるぞ、すげーじゃん」

“彼”が、微かに目許を歪める。

「ちょっと老けた感じもするけどな」

からからと笑った星矢に、彼は、低く抑えた声で言った。
「私は氷河ではない」

「へ?」

「私をコピーと一緒にするな」
「は?」

“彼”の言葉に一瞬ぽかんとしてから、星矢は、自分の頭の横で、人差し指をくるくると回してみせた。
「紫龍、こいつどーかしたのか?」
この暑さである。
氷河がおかしくなっても不思議ではない。

が、紫龍は一向に救急車を呼ぶ気配を見せない。
それどころか、彼はにこりともせずに、笑えない冗談を口にした。
「星矢、彼は氷河ではない……らしい」

「氷河じゃないって、じゃ、誰なんだよ」
紫龍の視線の先を辿って、星矢はもう一度“彼”に目を向けた。

“それ”が氷河と同じものだという先入観なしに見れば、そこにいるのは、顔と体格のいいマフィアだった。
無理に好意的に見ようと努めれば、目つきの鋭いやり手の青年実業家──くらいには見えないこともない。
いたって一般的な髪型になっているせいか、いつもの氷河より3、4歳は老けて見えた。

「今、瞬が氷河を呼びに行っている。事情を聞いても、氷河に会わせろの一点張りで──」
「会わせろなどとは言っていない。この私がわざわざ出向いて来てやったのだから、挨拶くらいしに来るのが礼儀だろうと言っただけだ」
声も、氷河と同じである。

しかし、そこにいる男が確かに氷河ではないことを、星矢はすぐに認めた。
そもそも氷河は、他人に礼儀など求めたりする男ではない。
自分の無作法を自覚しているから、それを他者に求めたりしないのが氷河だった。
だが、今星矢の目の前にいる男は、自分の無礼と高慢を自覚していない。

故に、それは氷河ではなかった。


「い……生き別れの双子の兄貴か何かか?」

星矢がやっと、事態を正確に把握しかけた頃になってやっと、もう一人の“彼”がその場にやってきた。






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