そうして、やがて――。

ヤマトナデシコの薄桃色の花びらの上で雪が解け、

「僕は──」

涙になる。

「僕は、本当は──」
「本当は?」

氷河が口調を和らげると、ヤマトナデシコは切なげに身体を震わせた。
涙の雫を頬に散らし、胸の内に隠し続けていたものを静かに、だが、激しく迸らせる。

「本当は、思いっきり駆けっこをしたかった。プールで泳ぎたかった。男の子たちに混じって、秘密基地ごっこをしたかった……!」

「そうか……」
瞬は、ずっと我慢してきたのだろう。
我慢して我慢して、自分で自分自身を抑えつけていることに気付かないほど我慢し続けてきたのだ。

瞬なりの――家族への愛情ゆえに。

だが、もう、不自然な我慢はやめてもいい頃である。
「今からでも遅くはないと思うぞ。幸い、おまえの父がぽっくり逝く恐れはなくなった」
「でも……!」

一度言葉にしてしまったら、瞬には、それ以上の不自然な自己抑制はできなくなるに違いないと、氷河は踏んでいた。
が、瞬は、氷河の推察を裏切って、氷河に反駁してきた。
「今は……僕は、今は、このままでいたいんです……!」

「瞬、何も恐がることはない。きっと、おまえの父だって母親だって、おまえと同じように、おまえの幸せを自分の幸せと思うことができるはずだ」

「だって……!」

今の瞬の中には、偽りの自分でいることよりも辛いことがあったらしい。
身悶えするように、瞬は、何よりも彼が避けたいことを口走っていた。

「男に戻ったら、氷河様が帰ってしまう……っ!」

「瞬……」

瞬の涙と嘆きに反して、瞬の言葉を聞かされた氷河は、正直なところ、天にも昇る心地だった。
瞬を幸せにできるのが自分で、自分を幸福にしてくれるのが瞬だということ以上の幸福など、この世にあるはずがない。

氷河は、瞬の涙に濡れた頬に手を伸ばした。
「ずっと側にいてくれと言ってみろ。叶うかもしれない」
「氷河様……」

氷河の指を熱いもので濡らしながら、それでも少し氷河の拒絶を恐れているような声音で、瞬が、自分の幸せが何なのかを、その薔薇色の唇に浮かびあがらせる。
「ぼ……僕をずっと氷河様のお側にいさせてください」

「嫌だと言われても離す気はない」

氷河はなにしろ、自分の幸福追求に躊躇を覚えない男だった。






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