identity crisis


〜 哀川レイラさんに捧ぐ 〜







「あ、次の子は駄目ですよ」

「何故だ」

「履歴書を見てください」

人事部長に言われて、氷河は、その学生の履歴書に目を通した。

名前は、城戸瞬となっている。
氏名欄の筆跡は丁寧で優しく、穏やかそうな性質が伺えた。


学歴と特技・資格欄は見事なものだった。

TOEICで980点、米国人も合格できない英検で1級取得。
教職、図書館司書、社会福祉士、行政書士、税理士、果ては、情報処理技術者試験のシステムエンジニアからシステムアナリスト資格まで、まさに在学中に取れるだけの資格を取りまくったという感じだった。
いわゆる自己啓発の意欲の強い学生らしい。

先日行なった適性試験の成績もトップ、特に語学力と論理的思考に長けているという結果が出ている。
学歴欄には、氷河が10年程前に中途退学した某国立大学の名が記されていた。

「ああ、T大か……。あの学校の学生共は、協調性はないわ、独創性はないわ、企画力はないわ、それでいて、学問の最高府に入ったという意味のないプライドばかりが高くて、民間企業では使い物にならないことが多いからな」

学生すべてをそう評価することはできないが、それは統計学的に見た事実で、人事能力評価においては一般的な見方でもあった。
チームプレイでプロジェクトを遂行していくのが至上義務の民間企業では、リーダーシップを持った人材は必要でも、自分の主張を絶対とし、柔軟性に欠ける人間は無用、むしろ足手まといである。

氷河自身、講義の内容よりも、そこに集う学生たちの空虚さにうんざりして、さっさとその大学を中退したくらいである。
氷河には、そこは、難関を突破したという勲章以外には何も与えてくれない場所に思われたのだった。


「あの手の輩は、政界・官界くらいでしか適性部署がない。成績はよさそうなのに、この学生は、何故そちらに進まな……」

履歴書の資格・免許欄を読み進めていき、その最後の項目で、氷河は言葉を途切れさせた。
『XX年度 国家公務員I種事務系試験合格』。 

「……合格しているのか」

国家公務員I種試験の合格発表は9月初旬。
今は9月の半ばも過ぎている。

合否のわかる以前ならともかく、合格通知をもらった後になっても就職活動をしている学生――。
氷河には、その真意がわからなかった。
この試験を通った学生は、人生の成功を手中にした気になって、春まで遊び暮らすのが普通なのではないだろうか。


それでは、これからの面接もほぼ無意味──ということになる。
いかに名の知れた都市銀行とはいえ、外務省や金融監督庁に比べれば、安定性でも有望性でも見劣りは否めない。
どちらを選ぶかと問われれば、氷河でも外務省を選ぶところである。

真意がわからない。
内定コレクターなら、こんなことを書いたりはしないだろう。


「その顔で堅気の職に就くのは無理な話だと思いませんか?」
黙り込んでしまった氷河に、人事部長が、あまり真面目とは言い難い口調で話しかけてくる。

どうやら、この人事部長は、氷河とは全然違う観点から、その学生の面接に意義を見い出せずにいたものらしい。

「…………」

写真など最後に見る癖がついていた。
最近は、写真の修正技術も半端ではなく、履歴書に貼ってある写真など印象すら正しく伝えていないことが多いのだ。


そして、一度視線を落としたら、氷河は、その写真から目を離せなくなった。

「中学生か……?」
その顔は、到底、20歳を越えた男のそれには見えなかった。

もっとその写真を見ていたいと主張する視覚をなだめすかして、無理に視線を住所欄に移動させる。
親と同居しているわけではないらしい。
いかにも賃貸アパートのものらしい住所が、そこには記されていた。


「いえ、ちゃんと22歳です」
「……国家公務員試験に合格しているようだな」

「ええ、ですから、あっちが冷やかしなら、こっちもお遊びで……。顔をじっくり見てみたいと思っただけなんですよ、実は」


「…………」

資本金1兆円を越える都市銀行の人事部長の採用態度の真摯さに呆れ、氷河は皮肉の一つを言う気にもなれなかった。






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