紫龍は、無思慮に怒りを表に出すことに躊躇を覚えるほどの大人にはなっていた。 だが、これは、憤らずにいられる類のことではない。 瞬時にそう判断し、紫龍がその判断に従おうとした時。 思いがけない言葉が、氷河の口から発せられた。 「吸血鬼は俺の方なんだ」 「…………」 その馬鹿げた戯れ言に――これが戯れ言でなくて、何が戯れ言だろう――、紫龍の怒りが別の怒りに変わる。 氷河は、旧友の身を案じてやってきた者を、くだらないオカルト話ではぐらかそうとしているのだと、紫龍は思ったのである。 「俺がギリシャに居を構えたのは、聖域が近くにあるからだ」 だが、氷河は真顔だった。 その表情に、ふざけた様子はかけらほどにも見付けられない。 「聖域には生命力に溢れた者たちが大勢いる。神を名乗るものすらいるしな。俺は、奴等のオドを手に入れて、性交という手段で瞬の中にそれを送り込む。瞬の細胞は、上質のオドの力でいつまでも老いることがない」 あまりに真剣な目をしている氷河の前に、紫龍は怒りの向け先を見失った。 「ば……馬鹿げてる。それが事実だとしたって、いったい何のために……」 「わからないか? 俺の身体は一度死んだんだ。天秤宮で」 「…………」 「俺は死にたくなかった。瞬も死なせたくなかった。だから、生き返った。それだけのことだ」 氷河は、だから――そのために自分は吸血鬼になったのだとでも言うのだろうか。 紫龍には、到底信じることのできない話だった。 「俺の身体は、常に新鮮なオドを取り込んでいないと、時をおかずに朽ち果てる」 「まさか」 氷河のジョークを、紫龍は一笑に付そうとした。 しかし、そうすることを、蒼く鋭い氷河の瞳が、紫龍に許してくれなかった。 「だが、どうやら、俺の心身は、自分より瞬の方に生きる価値があると思っているらしくてな。瞬と身体を交えるたびに、俺は自分が吸収したオドを、勝手に瞬の中に送り込んでしまうんだ。俺と違って生きている瞬の身体は、オドを注入されると歳をとらなくなる」 「氷河。冗談は……」 「瞬はいつまでも若いまま、俺は新しいオドが必要で、餌を求める。この十数年間、俺はそれを繰り返してきた」 「冗談はやめろ……」 「そう、気にすることはないさ。死に至るほど一人の人間から精気を奪い取るようなことはしない。俺に精気を奪われていることに気付いている人間もいない」 「冗談はやめろと言っているのがわからないのかっ!」 感情というものを全く表面に出さずに言い募る氷河を怒鳴りつけながら、しかし、紫龍は、氷河が真実を告白しているのだということを知っていた。 氷河は、瞬以外の人間に、こんな気の利いたジョークをサービスしてくれる男ではない。 ――氷河が死んでいる。 紫龍には信じられなかったし、信じたくなかった。 氷河が死人なのだということも、歳をとらない人間と歳をとっていく吸血鬼の存在も。 |