恋とはどんなものかしら


〜 莉子さんに捧ぐ 〜







恋とはどんなものかしら
ご存じの方、教えてください 
ご婦人方、ご覧ください
僕の心は恋していますか

初めてのことなので、僕にはどうしてもわからない
けれど、この胸に憧れに満ちた感情があるのです

時にそれは喜びで、時にそれは苦しみで
凍ったかと思えば、火と燃え上がり、
次の瞬間にはまた、冷えてしまう

自分以外の人に、幸福を求めているのに
それが何なのか、誰が持っているのかがわからない

心にもなく溜息をつき、ゆえもなく胸が高鳴り
夜も昼も安らぎません
けれど、この苦しみがまた楽しいのです

恋とはどんなものなのか
ご存じの方、教えてください 
ご婦人方、ご覧ください
僕の心は恋していますか──?





沙織が珍しくピアノ曲ではなく、歌曲を聴いていた。
モーツァルトの傑作『フィガロの結婚』の、恋に憧れる小姓ケルビーノが伯爵夫人とスザンナの前で歌うアリエッタ。
遮音材を施された防音室の窓をわざわざ開けて聴いているらしく、メゾソプラノの艶やかな女声が、廊下ではなく庭を通じて、玄関まで聞こえてくる。

イタリア語で歌われているせいもあって、それは、星矢には、何を騒いでいるのかと思わずにはいられないような──ほぼ騒音に近いものだった。
しかし、さすがはモーツァルト、星矢ですら、その曲には聞き覚えがある。
どこで聞いたのだったかは、星矢にはどうしても思いだせなかったが。

「あんなの聴いてて、何が楽しいんだろーな」
玄関先でぼやくように星矢に言われ、瞬は反射的に苦笑を作った。

瞬自身、オペラなど、舞台を観るならともかく、歌だけを聴いて楽しもうとは思わなかった。
が、そういうものの楽しみ方は、人それぞれである。
星矢が沙織の楽しみ方を理解できないように、沙織もまた、星矢の“お楽しみ”は理解できないことだろう。

「ま、んなこた、どーでもいいけどさ。早く行こうぜ、瞬。ガキ共が待ちわびてるぞ、きっと」
昨日も今日も、星矢は、星の子学園に瞬を連れ出していた。
星矢の目的──“お楽しみ”──は、学園の子供たちとのサッカーだった。

最近、星の子学園では、子供たちの数が増えて、チームに分かれてのゲームができるほどになっていた。
が、片方のチームに星矢が入ると戦力の釣り合いがとれなくなり、ゲームをゲームとして成り立たせるために星矢は手心を加えなければならなくなる。
敵チームに瞬を入れて、チームの力に均衡を持たせ、思い切りボールを追いかけたい──というのが星矢のご意見ご要望で、ここのところ瞬は毎日、星矢に付き合わされていたのである。

「早く行こうも何も、約束の時刻に遅れたのは、星矢が寝坊したせいじゃない」
「細かいこと、気にすんなよ。そこいらへんは、あいつらも心得てるって」
「時間にルーズなのって、子供たちに示しがつかないと思うけど」
「だから、急ごうって言ってるんじゃん」
「…………」

星矢の辞書に、『反省』という文字はない。
あるのは、どんな事態に直面しても、ひたすら前進するという前向きな姿勢だけである。

瞬は、小さな溜め息を一つ洩らしてから、城戸邸の玄関を飛び出した星矢のあとを追った。






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