「瞬」
ラウンジのドアの前に現れた氷河が、星矢や紫龍の姿など視界に入れてもいない様子で、一直線に瞬の側に歩み寄ってくる。

瞬は、星矢と紫龍をちらりと横目で見やってから、まるで言い訳でもするかのように、氷河を怒鳴りつけた。
「あ……あのね、氷河! 夕べのことだけど、僕、ああいうやり方って、卑怯だと思うんだ!」

氷河は氷河なりの方法で、自分の思いを瞬に伝えたつもりなのだろう。
それはわからないでもない。
瞬とて、この氷河に、万人に通じる言葉で告白してくれなどという贅沢を言うつもりはなかった。
しかし、せめて、対峙する相手には通じる言葉で(かつ、それほどまでに切羽詰る前に)、伝えてほしいではないか。
こういうデリケートな事柄は。

氷河はいつも、他人に理解できない言葉(?)を使う。
しかし、他者に理解できないということは、何も言っていないのと同義である。
己れの心を他者に伝えるために、人は言葉というものを発明した。
その発明品は万能ではなく、時に誤解を生むこともあるものではあろうが、相手にわかりやすく伝えようとする努力を怠ることだけはすべきではない。
──と、瞬は思ったのである。


が、瞬のその願いは空しいものだった。
氷河は、瞬のそんな願いが通じるほど普通の生き物ではなかったのである。

いついかなる時も我が道を行く氷河は、瞬の訴えも非難も、まるで聞いていなかった。
今の彼はおそらく、自分の恋に夢中になっていて、それ以外のこと──瞬の困惑を含む──になど思い至ってもいないに違いなかった。

彼は、思い詰めたように真剣な目をして瞬の前に立ち、そして、とある物体を瞬の手に握らせた。

「瞬。これを」
「え?」
「これは、俺の心だ」
「は?」

そう言って、氷河が瞬に手渡したもの。
それは、紅茶のティーバッグと、コイケヤ・カラムーチョの袋だった。

「???」
これが俺の心だといわれて、わかる人間がいたら、それは神様くらいのものだろう。
否、全知全能の神だとて、“氷河の心”を理解できるかどうかは疑わしい。

「ひ……氷河、これ、ど……どういう意…」

反射的に問い質しかけた瞬に、氷河は、自身の心を解説するような不粋をしようとはしなかった。
伝えるべきことは伝えたと言わんばかりの態度で、氷河がそのまま、仲間たちの前から姿を消す。

かくして、瞬は、またしても、(突然押し倒された怒りも忘れて)、氷河の謎のプレゼントの意味の解明にとりかからなければならなくなってしまったのである。

(こ……これ、いったい何なの〜〜〜っっ !? )

ティーバッグとカラムーチョ。
カラムーチョとお茶。

考えても考えても考えても、瞬には、“氷河の心”がわからなかった。



白鳥座の聖闘士、キグナス・氷河。
全天88星座に対応する聖闘士たちの中で、最も訳のわからない男。
そんな彼でも、恋はするのだった。






Fin.




わからなくても無問題なんですが、“氷河の心”を知りたい方は、 こちらをどうぞ。

ネタバレになるので、前振りページに貼れなかった『鳳仙花』説明ページはこちら
今回の話の中に出てくる民謡や民話についての記述があります。



【back】