この徳川幕藩体制下、士農工商の身分制度の上では頂点に立つ武士が、最も身分の低い商人たちに借金をして、体面を保つのが精一杯の藩が大多数を占める中に、外様の小藩ながら、非常に裕福な藩が一つあった。
4年前に父の跡を継いだ若き藩主──40代50代の藩主が大勢を占める他藩に比べれば、だが──のもと、藩財政の抜本的な改革を成し遂げた水瓶藩2万石である。

抜本的改革と言っても、水瓶藩藩主が行なったことは、さして奇抜なことではなかった。
家格を問わずに優秀な人材を登用し、身分の低い者の意見を採り上げる仕組みを作り、その成果に対して正当な評価・褒賞を与える──。
藩主が行なったのは、それだけのことだった。

当然、才ある者は務めに励み、成果を出せない者には無駄な俸禄を与えることがなくなる。
この成果主義・業績給の導入と、先々代が着手した治水事業の完成によって、水瓶藩は、他藩の窮状を尻目に、極めて良好な財政状態を維持することが可能になったのである。


氷河も、身分を問わない人材登用の恩恵を受けた下級武士の一人だった。
経済改革の提案がれられ、大賄役から御賄頭、大御目付、奉行と、短い期間に、係累のない20代の武士としては異例の出世を遂げ、まもなく若年寄にと目されている氷河は、元はといえば、取り潰し寸前の小家の出だったのである。

見目の良いのも重宝され、目立つ仕事を任されることが多く、またそれに氷河は期待以上の成果を出して見せた。
氷河の人生は、まさに順風満帆だったのである。
1年間の江戸詰めを終えて領国に帰ってきた主君に、とんでもないことを言いつかってしまうまでは。






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