「俺は……おまえがあの悪左府に目をつけられさえしなかったら、真実は隠して、おまえを妻として一生守るつもりだったんだ。触れ合うことはできなくても、おまえを他の誰かに渡すことだけはしたくなくて――」 それは事実であったし、本心でもあった。 瞬を手放すつもりは、氷河には全く無かった。 だが、瞬を自分のものにできるとも、彼はこれまで 考えたことはなかったのだ。 否、幾度も考えたが、それは してはいけないことなのだと、自らを戒め続けてきた。 「氷河……」 ほんの一瞬、視線を氷河の上に戻し、その顔を見上げ、だが、瞬はまたすぐに横を向いてしまった。 「僕は……氷河にそんなふうに思ってもらえるような人間じゃないの。僕は氷河の嫌いな左大臣がしていることを、氷河にしてもらえたらって考えるような浅ましい――」 瞬の声が詰まる。 瞬は、そんなことを氷河に知らせたくはなかった。 「だから僕は氷河にはふさわしくなくて、だから僕はどうなってもよくて――氷河には、僕なんかとは違う、有力な家の清らかなお姫様がお似合いだから――」 瞬はやはり世間知らずである。 瞬をそういうふうにした責任の一端が自分自身にあることを自覚していたので、氷河は瞬を責めることはできなかったが。 「今どき、そんな清らかな公家の姫が、この京にいるはずがないだろう。いたとしても、おまえほど俺を思ってはくれないし、俺もおまえ以上に大切には思えない」 氷河の口調には、もう怒りの色は含まれていなかった。 瞬が、それでも小さく首を横に振る。 「僕はきっと叔父よりも醜い人間なんだ。他の姫に嫉妬する権利もないのに、嫉妬なんかして――」 そう告げて睫毛を濡らす“世間知らず”が、喉の渇ききった許婚にどれほど強力な誘惑を仕掛けているのかを、瞬はわかっているのだろうかと、氷河は思ったのである。 氷河は、その誘惑に抗いきれなかった。 「嫉妬する必要なんかない。おまえは俺の許婚だぞ。誰にも渡さない」 氷河は、その身体に覆いかぶさるようにして瞬を抱きしめ、その頬に口付けた。 不実な許婚に、夢に見ていた通りのことをされた瞬が、全身を大きく震わせる。 次の瞬間、冷たい刀の切っ先の代わりに瞬の胸に触れたのは、氷河の唇だった。 「あ……」 そのあまりの熱さに驚いて、瞬は身体をすくませたのである。 悪左府の不品行を軽蔑しきっているようだった氷河が いったい何をしようとしているのか――期待よりも はるかに大きな恐れにかられて、瞬は身をよじったのだが、その身体はすぐに氷河の胸の下に引き戻された。 氷河に触れられるたび、そこがどこでも身体が震える。 瞬は、そんな自分に戸惑わずにはいられなかった。 「近衛帝は病がちな上に子がない。もし、悪左府を嫌っている帝がみまかれば、あの下劣な男はますます増長するだろう。悪左府の失脚を願う者は俺だけじゃない――が、俺には武力はあっても地位がない。俺が通っていたのは、女たちではなく、その父親や兄のところ――悪左府の失脚を望む廷臣たちのところだ。おまえが妬くような艶めいたことは、残念ながらしていない」 「え……」 「この家の隆盛も俺自身の出世もどうでもいい。俺はおまえを守れるだけの力がほしかったんだ。いや、俺はおまえだけは守る。だから――」 氷河のために何をしてやることもできない無力な存在。 むしろ氷河にとっては、ただの厄介な荷物。 瞬は、自分をそういうものだと思っていた。 「だから、俺のものになってくれ」 その瞬が、懇願するように氷河にそう言われて、彼に頷くこと以外に何ができただろう。 |