瞬が意識を取り戻したのは、怒りに狂った瞬の師の必殺技が炸裂して 間もなくのことだった。 「せんせい……?」 瞬にそう呼ばれる感動と快感に打ち震え、ともすれば緩みそうになる顔を必死に固くして、ミロは瞬の顔を覗き込んだのである。 「瞬、気がついたか!」 そこには、ミロが片時も忘れたことのない瞬の綺麗に澄んだ瞳があって、その瞳はどこか心許なげな色で彼の師の姿を映し出していた。 安堵のために身体から力が抜けたミロは、瞬を抱きかかえたまま、崩れ落ちるようにその場に片膝をつくことになってしまったのである。 「氷河は無事……ですか?」 久しぶりの対面の最初の話題が 「も……もちろんだ」 瞬が案じている男は、スカーレットニードルをアンタレスまで受けて、とっくに死んでいるはずだったが、そんな事実を瞬に告げるわけにはいかない。 その程度の分別は、今のミロにもかろうじて残っていた。 「よかった……」 小さく一つ吐息して、瞬がその瞳から綺麗な涙をひとしずく零す。 ミロは思い切りムカついたのだが、無論彼はポーカーフェイスを保ち続けた。 彼は、可愛い弟子の前で醜く顔を歪ませるわけにはいかなかったのである。 そんなミロの自制の努力に気付いた様子もない瞬が、師の腕の中で更に言い募る。 「先生、僕たちのアテナに会ってくださいね。会って話をすれば、僕たちのアテナが本当のアテナだということがきっとわかりますから」 「わ……わかった。おまえの判断力を私は信じる。あたりまえじゃないか」 説得してミロス島に連れ帰ると言っていた弟子に 逆に説得されているミロの姿を見て、カミュはすっかり呆れていた。 同時に感嘆してもいたのである。 仮でも馬鹿でも腐っても黄金聖闘士である男を、ここまで腑抜けにしてのける“素直で可愛い弟子”というモノが持つ強大無比なその力に。 昔はそれなりに可愛かったのに、今ではすっかり可愛くも素直でもなくなった彼の弟子は、天蠍宮の床に崩れ落ちたまま ぴくりとも動かない。 カミュはその生死を確かめることも面倒で、傷付いた弟子の側に近寄ることもせずにいた。 今更氷河の身を気遣うのは無意味なことである。 それは、一度は自らの手で氷の棺に封じた不肖の弟子なのだ。 「先生、僕、次の宮に行かなくちゃならないんです」 そんな殺伐としたツンドラ気候の師弟の脇で、過ごしやすい地中海性気候の師弟は、いっそ見事なまでに対照的な光景を作り出していた。 弟子は自らの師を信じ、師は弟子の身を案じている。 「おまえがどうしてもと言うのなら仕方がないが……。だが、人馬宮は悪趣味なトラップが満載の危険な場所だ。私が迂回する道を教えてやる。無意味な危険は避けることこそ賢明だ。磨羯宮のシュラは私が説得してやろう。なに、話せばわかる男だ。カミュはここにいるから宝瓶宮は素通りできるし――」 そう言ってから、ミロは、自分の背後に立つカミュにちらりと視線を巡らせて脅すように睨みつけた。 「貴様、まさか私の可愛い瞬を倒そうなどと、不届きな了見を抱いてはいないだろうな」 「滅相もない」 カミュが即座に答える。 水瓶座の黄金聖闘士とて、無意味な危険には関わり合いたくなかった。 「双魚宮のアフロディーテはおまえを見るとやっかみそうだが、なに、私が守ってやる。奴はゲランのフェイスケア商品を欲しがっていた」 「誰の命も奪うことはなさらないでくださいね。先生はお強いからこそ、そのお力を使うべきではないんです」 「もちろんだ。おまえが嫌がるようなことを、この私がするはずがないだろう」 かろうじて表面だけは師匠の顔を維持しているが、実質は瞬の言いなりである。 カミュは瞬の手管に感心するばかりだった。 これでは、どちらが師でどちらが弟子なのかわからない。 「ミロの扱い方を心得ているな。さすがだ」 「瞬の恐いところは、瞬自身には相手を扱ったり操ったりしている自覚が全くないところだ」 独り言のはずだった言葉に、なぜか応答がある。 いつのまにか復活している氷河に、カミュは少々驚いた――つまり、さほど驚きはしなかった。 絶対零度の氷の棺から復活してのけた男が、2度生き返ろうが3度生き返ろうが、それはもはや驚嘆に値することではない。 「スカーレットニードルをアンタレスまで受けたのではなかったか」 「あの尻尾野郎はよほど取り乱していたらしい。全部見当外れのところに飛んできて、俺は最後のアンタレスをよけるだけで事なきを得た」 「心臓でも狙ってきたか」 「あの大馬鹿野郎、俺の股間を狙ってきやがった」 「妥当な攻撃法だな。恨みがそこに集中していたんだろう」 可愛い弟子を汚されたことで怒り心頭に発したミロは、冷静さを欠いていた。 彼が氷河に打ち込んだ15発のスカーレットニードルは、要するに すべてが“ハズレ”だったのである。 今のミロには蠍座の星の位置どころか、星の数を数えることすらできないに違いなかった。 そして、そんな黄金聖闘士の情けない姿を見せられたせいで、氷河はすっかり黄金聖闘士たちへの尊敬の念を失ってしまっていたのである。 自らの師であるカミュも水瓶座の黄金聖闘士、あのミロの仲間なのだと思うだけで、言葉使いもぞんざいになった。 氷河のマイナス方向への尊敬はおろか、その復活にすら気付いた様子もなく、ミロは威厳のない師匠モード全開で瞬にまとわりついている。 「立てるか? 頬に傷があるではないか。この宮の脇にパルナッソス山から引かれている水道があるから、傷口を洗ってきなさい」 「平気です。こんな、ただの擦り傷……」 「ばい菌が入ったらどうするんだ。ちゃんと洗ってきなさい。顔の傷だけではなく、手や腕も念入りにな。病気の男に触られたようだし」 結局瞬はミロの押し切られ、彼の指示に従うことになった。 こういう時だけは素早く、氷河が瞬のあとを追っていったのだが、ミロの視界には彼の可愛い弟子の姿しか映っていないのか、彼はその事実を認識すらしていないようだった。 |