何やら我が家のメーラーの調子が悪かったらしく、しゅなーるさんからのリクエストメールが届いておりませんで、再送していただきました。 しゅなーるさん、お手数おかけいたしました & リクエスト、どうもありがとうございます! ということで、今回は、『男たちの大和』みたいな感じの話、なわけですが。 すみません。お題をいただいた時に私が最初に思ったことは、 「『男たちの大和』って何?」 でした……; 慌てて検索して、それが戦艦大和の乗組員たちとその周辺の方々に取材した事柄をもとにして著された小説 及び 映画だということを知った次第です; 今回のキリリク話を書くにあたり、私はまず、当然のことながら、『男たちの大和』がどのような作品であるかの把握から入りました。 んががががー。 ネタバレがある上記リンク先を読んでも、あちこちのレビューサイトさんの記事を読んでも、作品の大まかな内容はわかるものの結末がわからない。 テーマも何となくはわかるのですが、人づての記事では、その作品を観て私がどう感じるかが(これまた当然のことながら)わからない。 なので、「えーい、面倒ー!」とばかりにDVDを購入し、自分で観てみたわけです。 あー……。何というか、確かにこれはネタバレが許されていてもストーリー説明がしにくい作品ですね。 しかし、ある程度 映画のストーリーやテーマをご理解いただかないことには、これで氷瞬話を書いても、話をお読みいただく方々に、それがお題をどう活かしているのか(あるいは活かせていないのか)が伝わりません。 ですので、私がこの映画を観て理解したテーマとストーリーと個人的な感想を以下に書かせていただきます。 本作品を未鑑賞で、これから観るご予定のある方、ネタバレを嫌う方はこちらに飛び、『男たちの大和』とは全く無関係な作品として、今回のキリリク話をお読みください。 以下ネタバレを含みます。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 『男たちの大和』のストーリーはある意味単純です。 戦艦大和の乗組員が死ぬ話。そして、ごく少数が生き残り、生き残った者たちのその後を描いた作品。 私は、この作品を、 「大義のためではなく家族・恋人を守るために戦った男たちの記録であり、にも関わらず守りきれなかった者たちの悲哀を描くものであり、守ることができなかった者たち・守られることができなかった者たちにとって その戦いは無価値無意味であったのかを(鑑賞者に)問い、生き残ってしまった者や守られる側にあった者たち(=この作品を観た者たち)が、その戦いの内容を知った後にどう行動すべきかを問うている作品」 と理解しました。 『男たち』というのは、大雑把に言って『守られる側の人間ではなかった者たち』――でいいのかな。 戦艦大和に関わった方々のドキュメンタリーのような側面があったため、登場人物が多くて、当然エピソードも多く、特定の誰かへの感情移入が難しい作品でした。 なので、少々散漫な印象は拭えませんが、根底に一貫したテーマがありましたし、大和に関わった者たちの群像を描いた作品と考えれば、これはこれでいいのだろうと思います。 誰にも感情移入していないのに泣けるシーンが多数あるというのは、戦争という“行為”が引き起こす“現象”そのものが哀しいことばかりだからなのでしょう。その事実にまた泣けてしまいました。 本映画は、一つの船が沈む話、その船に乗り合わせた人々の姿を描いているという点で『タイタニック』と同じなわけなんですが、群像を描くか特定カップルに鑑賞者の目を向けさせるかというあたりで、テーマへのアプローチの手法が全く異なっていましたね。 テーマの一つである『生き延びてしまった者のその後の生き方』というのは、両作品の根底で結構似通っていると思うんですが。 多少の演出はあるものの、事実だけを羅列して、それらの事実に何を感じ何を考えるかは鑑賞者次第――な作品。 これは敵軍である米軍をほとんど描写していないせいもあるでしょう。本作品は、敵も味方もない世界――つまり日本だけ、まさに『やまと』だけの物語です。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ――という認識で、私は話作りにとりかかったわけですが。 最初にお詫びいたします。 今回の話には、ヤマトのヤの字も大戦のタの字も出てきません。 今回ほど いただいたお題に沿っていない話を書いたこともないのではないかと思うくらい、見事にかすってもいません。 ですが、さすがに、やおいサイトなんぞで、ちょっとしたエピソードレベルならともかく、真正面から大上段に戦争を取り扱うわけにはいきません。 実際に先の大戦で戦った方々やそのご遺族の方々に失礼ですし、幣サイトには翻訳ツールを通して内容を閲覧してくださっている各国の方々も少なからずいらっしゃいます。 これは色々とデリケートな問題を含むことですし、私の無思慮無分別な文章によって、お読みくださる方々をご不快にすることは不本意です。 本当は、現代に生きている氷河もしくは瞬ちゃんを、大和に関わる誰かにSF的にシンクロさせる手を使って、現実感を薄れさせつつ、あの時代の話を書こうかとも思ったのですが、自分の文章力国語力 及び人間としての未熟を知っているだけに、私にはその冒険に挑む勇気を持つことができませんでした。 なので、今回のキリリク話は、設定・時代背景は『男たちの大和』とは全く無関係に、作品のテーマだけ「『男たちの大和』みたいな感じ」の話を書かせていただきました。 とゆーか、正直、この話はほとんど映画の感想文になっていると思います。 で、映画をご覧になった方にはおわかりになると思いますが、多分に映画の内容を否定しているきらいがあります。 誤解なきよう書いておきますが、私はあの作品を観て、少なくとも4回は泣きました。実際に涙が出た。 ただ、一つの作品を観て(or 見て or 読んで)、感じることと考えることは別物なのです。 小説でもマンガでも何らかの創作活動をしたことがある方ならおわかりだと思いますが、人を泣かせる話って結構簡単に書けるものです。『泣かせ=あざとい』なイメージがあるから避ける人が多いだけで。 (書き手が読み手を泣かせようとして書く行為があざといのであって、自然に泣ける作品があざといというわけではありません、もちろん) で、それに比して、考えさせる話というのは書くのが難しい。 『男たちの大和』は感情に訴えることもできていて、かつ、考えさせることもできている、(失礼な言い方になりますが)非常においしい作品だと思います。 DVDが売れているのも納得。私が買ったのは通常版の方ですが、発売日から半月以上経っていたのに(終戦記念日直後だったせいもあるのでしょうが)アマゾンのDVD売上1位にランキングされていました。 えーと、そんなこんなで。 こんな不首尾になってしまい、お題をくださったしゅなーるさんには大変申し訳ありません。が、どうぞご了承ください。 チューリップ畑は、現実世界とは無関係の夢の国ということで、逃げを打たせていただきます。 その上、夢の国の話だから、鼻につくほどお綺麗な理想論が横行している……; 本当に本当にすみませんです〜; |