八雲やくも立つ 出雲いずも八重垣やえがき つまみに 八重垣作る その八重垣を」
朝から上機嫌の氷河を呆れたように眺めていた紫龍が、突然、呟くように歌を詠じた。
それが全く前触れのない突然のことだったので、星矢と瞬は、不思議そうに長髪の仲間を振り返ることになったのである。

「なに、それ。歌……?」
瞬に尋ねられると、紫龍は、妙に意味ありげな深い笑みを その口許と目許に刻んだ。
須佐之男すさのおのみこと櫛名田くしなだ姫を妻に娶って、2人で籠もる宮殿を造ろうとした時に歌った歌だ」

「意味がわかんねーんだけど」
紫龍の答えは、星矢には全く説明になっていないものだったらしい。
星矢は、紫龍が口にした人名を知らなかったし、その歌の意味も、紫龍が突然そんな歌を口にした訳も全くわからなかったのだ。

「歌の意味は、『出雲の国を幾重にも取り囲んでいる雲のように、妻と籠もるための家の周りにも幾重にも囲いを造ることにしよう』という程度のものだ。大した意味はない。妻を手に入れた男が浮かれて、同じ言葉を繰り返しているだけの歌だ」
歌の大意を知らされて、星矢がやっと紫龍の意図を理解する。
そして星矢は、今日という日にこれほど ふさわしい歌もないだろうと思った。

「氷河が、瞬と『やった やった』って騒いで 浮かれてるようなもんか」
星矢の実にわかりやすい比喩に、紫龍がゆったりと頷く。
「これが日本で最初に作られた歌だと言われている。以降、日本人は、複雑な心情や情景を三十一文字の短歌や、十七文字の俳句に凝縮して表現するようになったわけだな」
星矢の比喩は的確ではあったが、非常に下世話でもあった。
格調を取り戻そうとしたのか、紫龍は星矢の解釈に文学史的解説を加えた。
もっとも、天馬座の聖闘士は、それを解するような人物ではなかったが。

「今は、もっと短いぜ」
「なに?」
世界で最も短い詩と言われる俳句よりも短い詩のことなど、紫龍は聞いたことがなかった。
怪訝そうに軽く眉根を寄せた紫龍に、星矢がしたり顔で告げる。
「今は、感動したら、『萌え〜』の一言で済む。ちょっと前までは『かわい〜』だったよな。日本人て、何でもかんでも凝縮しちまうから。軽小短薄が好きなんだよな」

「それは複雑な心情を凝縮したというより、単に語彙が貧しいだけだろう」
星矢の意見はそれなりに傾聴に値するものだったのだが、さすがの紫龍も『萌え〜』を文学と思うことはできなかったらしい。
彼は両の肩を軽くすくめてから、嘆かわしげに左右に首を振った。

星矢も、『萌え〜』を文学だと強く言い張るつもりはないらしい。
彼はすぐに話題を元のそれに戻した。――つまり、氷河の件に。
「ま、氷河が浮かれてる気持ちもわかるけどさ」
「瞬に向かって『萌え〜』と言い出さないだけマシだろうな」

「あの……」
仲間たちとラウンジにいた瞬は、先ほどからの星矢と紫龍のやりとりの意味するところが、ほとんどわかっていなかった。
もしかしたらあのことだろうかと 思うところもないではなかったのだが、それを自分から仲間たちに確認するのは気がひける。
瞬は、自分の頬にほてりを感じながら、紫龍に尋ねた。

「ス……スサノオノミコトって、あの八岐大蛇ヤマタノオロチを退治した?」
「そうだ」
「スサノオノミコトって、確か、すごく暴れん坊の神様で、色々と乱暴なことをして高天原を追放された神様じゃなかったっけ? 和歌の創始者だなんて、意外に風流なところもあったんだね」
「やった やったと騒いでるだけだ。氷河と大して変わらん」
「あ……」

そこまで言われて瞬はようやく(仕方なく)、紫龍と星矢の会話の意味を理解せざるを得なくなったのである。
理解して、瞬は頬を真っ赤に染めた。
要するに、瞬の仲間たちは、昨夜 瞬と氷河の間に何があったのかを知っているのだ。
瞬は そのことを仲間に報告したりはしなかったし、氷河も『やった やった』と騒いだわけではない。
だというのに、なぜか紫龍と星矢はそのことに気付いているのだ。
昨夜、白鳥座の聖闘士とアンドロメダ座の聖闘士が、初めてコトに及んだという事実に。






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