天秤宮で死に瀕した氷河を見付けた時、僕は、凍りついてしまったのは氷河ではなく僕の心臓なのではないかと思うくらい激しい衝撃を受けた。
こんな展開を、僕は望んでいなかった。
僕は僕の恋を諦めてたけど、氷河には絶対に氷河の恋を諦めてほしくなかった。
氷河の恋だけは、いつもしっかりと存在していてほしかった。
他の誰にも介入できないほど確かなものとして、僕の前に存在していてほしかった。

氷河がもしこのまま死んでしまったら、僕は僕の恋を諦めることさえできなくなってしまうだろう。
“叶わぬ恋”と諦めていられたものが、“存在しない恋”になってしまう。
誰かの氷河だと思っていた氷河が、誰かのものでなくなってしまったら(死んでしまった人間を、いったい誰が独占できるだろう?)、そうしたら僕は、きっと氷河を自分のものにしたくなるに違いない。
そんな思いに苦しみ もがく自分を想像しただけで、僕は“恋”というものが恐くなった。

氷河を生き返らせなければ。
僕はそう思った。
氷河には、生きて、僕の知らない誰かと幸せで充実した恋をしていてもらわなければならない。
でなければ、僕は僕の恋を諦めてしまうことができず、氷河への恋に苦しむことになる。
それこそ、アテナの聖闘士として戦い続けることができなくなるほど、心と意識のすべてを恋だけに向けずにはいられないほど、僕は苦しい恋に苦しむことになるだろう。
だから――僕は僕の恋を守るために、僕の心の平穏を保つために、自分の命に代えても氷河を生き返らせようと決意した。

氷河の冷たい身体を抱きしめた時、僕は僕が何を考えていたのか憶えていない。
ただ、氷河には生きていてもらわなくては――と、それだけを、自分に向かって、氷河に向かって、世界に向かって訴えかけていたような気がする。
氷河には、生きて、僕以外の誰かに強く恋していてもらわなくては、僕の心の均衡が保てない。
氷河が生きていてくれないと、僕は氷河を見ていることもできなくなる。
僕は、氷河を失いたくなかった。

――小宇宙の力が無限だということを、それはどこまでも大きくなることのできるものだということを、僕はその時 初めて知った。
それは肉体ではなく、心が作るものだということも。

氷河の恋に比べたら、僕の恋はとてもささやかで、友達として彼の傍らにいること以外 何も望まない、ほとんど無欲なものだと、僕は思っていた。
なのに、氷河を失いたくないと望む僕の心は、すぐに僕自身にも制御しきれないほど大きく膨れあがり、どんどん力を増し、それは聖域だけでなく世界そのものを覆い尽くすのではないかと思えるほど強大なものになった。

僕はこんなに強く激しく氷河に恋していたんだろうか?
それとも、これは、せめて氷河の友達でいたいという気持ちの発露に過ぎないんだろうか?
そんなふうに自分自身の心を疑うほど、僕の心の持つ力は強大だった。
その力が、氷河を無理に生き返らせる――。

氷河の蘇生を確かめて、僕はそのまま意識を失った。
これで僕は僕の恋に苦しまなくて済む。
氷河は僕以外の誰かに恋し続けてくれる。
僕は僕の氷河を失わずに済む。
そう思って安心したら、僕の精神の緊張の糸はぷつりと切れてしまったんだ。






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