人間の住む世界では、花は枯れてしまうらしい。 人間たちはそれをごく自然なことと受けとめ、美しい花の姿が失われてしまうことに憤りもしないとか。 人間というものは不思議な生き物だ。 そんな理不尽な事態を当たりまえのこととして受け入れてしまえるんだから。 彼等には、美への感受性というものがないんだろうか。 それだけじゃない。 人間の世界では、人間そのものも必ず死んでしまうらしい。 その限りある時間を 身分だの階級だの立場だのという意味のない約束事で縛り、同じ人間同士で支配する者と支配される者に分かれて対立し合い――本当に馬鹿げた世界、馬鹿げた仕組みだ。 人間たちは、そんな世界で生きていることが楽しいんだろうか? 永遠に枯れない花が咲き乱れる無憂の苑で、無限の命と美を持つ花たちを眺めながら、俺はそんなことを考えていた。 花は好きだ。 美しくて可憐で、そこにあるだけで見ている者の目を楽しませてくれる。 「それは本当なのか」 人間の世界では花は枯れる――必ず死ぬ――。 彼女から そのひどい世界のことを知らされた時、俺は彼女に問い返さずにはいられなかった。 そんな世界で生きていられる人間という生き物の心が、俺は理解できなかったから。 俺が尋ねると、彼女は冷たい微笑を浮かべて頷いた。 彼女は美しい。 その姿は、花というより――そうだな、この苑の西方にある山の奥にある水晶の輝きに似ていると思う。 冷たく厳しく、だが優しい。 彼女は、何十年 何百年という長い時間、この世界を司ってきた無憂の国の女王だ。 人間でいえば30年ほどを生きた女性の姿をしているらしい。 人間に似た姿をしているということは、彼女はもともとは人間だったんだろうか。 俺が尋ねると、彼女は曖昧に笑い、 「私はもう人間ではないものになってしまったが……。おまえも人間に似た姿をしているのだよ。おまえは大人になる直前の若い男の姿をしている」 と言った。 自分の姿は見たことがある。 この苑の東にある森の中に、氷のように透き通った水をたたえた泉があって、そこに自分の姿を映してみたことがあるんだ。 陽光の色の髪と空の色をした瞳。 俺も――花には似ていなかった。 では俺も人間なのかと彼女に問うと、 「人間でないものになりつつあるが、まだ人間だ」 と言われた。 花が枯れることを悲しまない人間に似ているなんてと、俺はぞっとしたんだ。 それ以来、俺は自分の姿を見ないことにした。 ともかく、彼女は、そんなふうに俺に色々なことを教えてくれる、この世界の支配者だ。 俺にとっては母のようなもの――らしい。 “母”というものは何だと訊いたら、彼女は、『俺という命を作り出したもの、その命を永遠に愛する者』と答え――俺は漠然と“母”というものの意味を理解した。 俺はどこから来て、どこに行くのか。 俺は時々そんなことを考えることがあったんだが、俺が彼女によって生み出されたものなら、俺は彼女の支配するこの世界でずっと暮らしていられるだろうと、安堵もした。 人間が生きている世界には醜い争いがあり、彼等はいずれ失われるとわかっている命を互いに消し合うという愚かな行為を繰り返しているらしい。 人間の死の苦しみは往々にして壮絶なものらしいが、人間として生きていることはもっと苦しい。 人間は苦しみと悲しみだけでできている――と、彼女は俺に教えてくれた。 その苦しみと悲しみを終わらせるために、彼等には“死”が必要なのだと。 俺の生きている世界は平和だ。争い事などない。 空は澄み、空気は清浄。水は清らかで、花は枯れない。 果実はたわわに実り、鳥やリス等の小動物たちが何百年も前と同じ姿をして、さえずり遊んでいる。 ――ここは憂いのない苑。 苦しみと悲しみと偽りと死が存在しないということが、この世界で守られるべき唯一の約束事。 時に 虚ろな感覚を覚えることもないでもなかったが、俺はこの世界で不幸を知らず、苦しみも悲しみも知らずに、永遠に続く時の一瞬一瞬を過ごしていた。 |