『あまりお勧めしないわね』
沙織の言葉の意味が、実感として瞬の上に降りかかってくる。
アテナの極秘任務を首尾よく片付けた氷河と瞬が、アテネ港から船で渡ったその島は、沙織の言葉通り、見事なまでに、ほぼ完璧と言っていいほど観光地化していた。
といっても、二人が上陸したのは赤い花の咲いている伝説の島ではなく、その島の観光の拠点になっているミコノス島の方だったが。
赤い花の咲く島自体は、周囲1キロにも満たない小さな島で、ホテルを建てる土地も確保できないほどささやかな島だということだった。

赤い花の咲く島観光の拠点となっている島に向かう船は、これまた沙織の言葉通り、新婚旅行客かどうかは判断できないが、とにかくカップルばかりが乗り合わせていた。
紫龍の勧めは的確だったと、瞬は思ったのである。
こんな船に一人で乗り込んでいたら、瞬は失恋自殺を考えている危険人物とみなされていたかもしれなかった。

カップルだらけの船からミコノス島に降り立った氷河と瞬に、その島がまさしく観光地なのだということを最初に知らせてくれたのは、港で列を成して下船客を待っていたタクシーだった。
氷河と瞬が島の土を踏む前に、彼等の荷物は一台のタクシーに積み込まれてしまっていたのである。
荷物の所有者である氷河と瞬は、否も応もなくそのタクシーに乗せられてしまった。
その強引さも観光地ならではのものなのかもしれない。
商魂たくましいタクシーの運転手を責めて ここで騒ぎを起こすわけにもいかなかった氷河は、
氷河は押し込められたタクシーの後部座席で、
「しかし、本当にカップルばかりだな」
と、ぼやくことしかできなかった。

ホテルに向かって車を発進させた運転手が、親しみやすく軽快な調子で、彼の客たちに愛想を振りまいてくる。
「この島のホテルは、どこの部屋も防音設備が完璧で、どんな最新設備のホテルより耐震性に優れてますよ。なにしろ、夜になるとホテルがぐらぐら揺れるからね」
品のないジョークに氷河が顔をしかめる。
そのジョークをジョークと理解できなかった瞬が、
「ホテルが揺れる? どうしてですか?」
と真顔で尋ねるのを見て、氷河は更に苦い顔になった。

説明したくはなかったが、説明しないわけにもいかない。
氷河はしぶしぶ口を開いた。
「夜になると、宿泊客が一斉に励み出すということだ」
「あ……」
瞬が、自分の馬鹿な質問を、頬を真っ赤に染めて後悔したのは言うまでもない。

「お客さん方もせいぜい派手に揺らしてやってください。この島の住人は、地面が揺りかごみたいに揺れてないと落ち着いて眠れないんですよ。ギリシャ本土に行くと、揺れがないから不安になるくらいでね」
「この島の住民の安眠のために、せいぜい勤めることにしよう」
本気なのか皮肉なのか、氷河がにこりともせずにそう告げた横で、瞬は身体を縮こまらせた。






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