もともとが敵性属性の三巨頭のみならず、瞬も星矢も紫龍も城戸邸のメイドまでが、氷河の恋路を阻み、その進展を妨げようとする。
世話をする者がいなければ客は優雅に客でいることもできないだろうという逆転の発想で、氷河は城戸邸の使用人たちに休暇取得を促してみたのだが、その要請に応える者は城戸邸内には ほとんどいなかった。
『この時季に休暇をとって観光地に出掛け、無意味に疲れる』という日本人の義務を回避しようと考える非国民が、城戸邸内には数多くいたのである――ほとんどがそうだった。

観光地に出掛けて無意味に疲れるという義務から逃れることはできても、滞在客が増えれば邸内の使用人たちの仕事は増えることになる。
しかし、その事実を残念に思う者も、邸内には皆無だった。
特に城戸邸のメイドたちは、三巨頭が繰り出す『下女』『女中』『端女はしため』等の差別用語に色めきたち、『斬新、新鮮、きゃーきゃー素敵』と氷河には理解できない嬌声を邸内に響かせている。
逆に、男の使用人たちは、『下男』『下郎』『権助ごんすけ』呼ばわりに機嫌を悪くしているようだったが、それも“観光地に出掛けていって無意味に疲れる”苦痛に比べれば大した問題ではないらしい。
GWに休暇を与えられないことに不平の一つも言わず、むしろ平生より熱心に、彼等は自らの職務に励んでいた。


『命に代えても、瞬を守る』の宣言通り、三巨頭は四六時中 瞬についてまわって、瞬を“守り”続けた。
朝も昼も夜も――起床時にも、朝のジョギングや散歩、仲間との談笑中にも、食事の時間、お茶の時間、トレーニング中、外出の際にも瞬の側を離れず、入浴中は浴室のドアの前で番をし、就寝中は部屋のドアの前に見張りに立つ。
もし敵襲があったなら、三巨頭は、『敵の襲来があっても、瞬様が直接戦う必要はございません』の宣言通り、瞬にチェーンを握ることすら許さなかっただろう。

三人揃っている時も、交代制で個別についている時も、常に三巨頭の誰かが瞬の側にいる日々。
冥界最強を誇っていた三人の男たちが、瞬のためにドアを開ける、瞬のために椅子を引く、瞬になら踏みつけられても構わないと言わんばかりの滅私奉公。
冥界の三巨頭としてのプライドはどこに消えたのか、彼等は本物のハーデスにすら ここまで尽くしていただろうかと疑いたくなるほど、彼等は彼等が自らに課した職務に忠実だった。
『片時も側を離れずに瞬の身を守るため』という名目で、彼等は、食事も青銅聖闘士たちと同じテーブルに着き、青銅聖闘士と同じものを食した。

彼等は、城戸邸における自分たちの地位を、『瞬より下だが、瞬以外のすべての人間より上』に位置づけているらしく、瞬に対しては慇懃そのもの、氷河や星矢、紫龍に対しては極めて居丈高な態度を貫いていた。
そして、彼等は、完全に氷河を害虫と見なしていた。
彼等は、仲間たちと一緒の時には氷河が瞬と同じ場にいることも許すのだが、氷河が一人で瞬の側に近付くこと、氷河が瞬と二人きりになることだけは、決して許そうとしなかった。

氷河は、彼等に害虫扱いされることは全く構わなかったのである。
瞬以外の人間に 害虫と思われようと益虫と思われようと、そんなことは氷河には どうでもいいことだった。
問題は、三巨頭が害虫認定した男を徹底的に駆除しようとすること。
予定では邪魔者のいない城戸邸で瞬と(主に夜間)深めるはずだった愛が、一向に深まらないこと――その機会を ことごとく封じられること――だったのである。


瞬と二人きりになれない日々に苛立った氷河が、紳士的とも礼儀に適っているとも言い難い行動に出たのは、三巨頭が瞬を“守り”始めて5日が経った頃。
夜間 瞬の部屋のドアの前に立つ見張りを出し抜こうとして、氷河は、その夜、ジュリエットへの恋に見境をなくしたロミオのように、瞬の部屋のベランダに取り付いたのだった。
ベランダから瞬の部屋に――更には瞬のベッドに――忍び込み、瞬と二人きりになれさえすれば、ドアの前で見張りに立っている冥闘士は ただの道化、むしろ(ベッドでの)恋のやりとりのためのスリリングな刺激になるとさえ、氷河は考えていた。

が、氷河は、瞬のベッドどころか、その部屋の中にさえ入ることができなかったのである。
見張りは、瞬の部屋の廊下側のドアの前だけでなく、庭に面したベランダにも立っていたのだ。
恋する一般人にすぎないロミオの10倍の跳躍力を駆使して、氷河が取り付いた瞬の部屋のベランダ。
そこには、天貴星グリフォンのミーノスがいて、『こんばんは』の挨拶もなく、氷河に 深夜の訪問の訳を問い質してきた。
「こんな夜更けに、何をしにきた」
『何をしにきた』と問われて、正直に『夜這いに来ました』と答えれば、ミーノスはその正直に感じ入って素直に白鳥座の聖闘士に道をあけてくれるだろうか。
氷河には、到底 そう思うことはできなかった。
結果として無言でいることになった氷河に、ミーノスが軽蔑しきった目と言葉を投げてくる。

「驚いたな。アテナの聖闘士ともあろうものが、本当にこんなこそ泥のような真似をするとは――。ラダマンティスは キグナスならやりかねないと言っていたが、私は、仮にもアテナの聖闘士が まさかそこまで下衆な真似はすまいと思っていたのだ。あくまで万一の時のために 見張りに立っていたのだが……。まったく、アテナの聖闘士が聞いて呆れる。瞬様の許に夜這いだと。身の程を知れ、このウジ虫が!」
言うなり、ミーノスの念動力に操られた糸が 氷河の手足を絡め取り、氷河の身体をそのままベランダ下の地べたに叩きつける。
まさか夜這いを見咎めら妨げられたからという理由で、ミーノスへの徹底抗戦に及ぶわけにはいかない。
そんなことが瞬に知れたら、瞬に どう思われるかわかったものではない。
氷河は結局、瞬との逢瀬を断念するしかなかった。

「ミーノス、そこに誰かいるの?」
ベランダから続くガラスドアとカーテンの向こうから、瞬の細い声が洩れ聞こえてくる。
「いえ、風が不潔なゴミを運んできただけです。もう片付けました」
ミーノスが氷河の企みを瞬に知らせなかったのは、決して彼が氷河に武士の情けを垂れたわけではなかっただろう。
ミーノスは、彼が その念動力によって地べたに叩きつけた男を、本当に不潔なゴミとしか思っていなかったのだ。

「ならいいけど……。僕、仮にも聖闘士なんですから、護衛なんていりませんよ。お部屋に戻って、やすんでください」
「いや、護衛は必要なようです。瞬様をお守りできることは、私には この上ない名誉であり、喜びでもあり、苦にもなりません。それに、冥界と違って、地上は星が美しい」
地べたでうごめくゴミの残骸の気配を完全に無視して夜空を見上げ、ミーノスは室内の瞬に そう答えた。






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