俺が通うビルの地下フロアに続く階段には、相変わらず着飾った女たちの行列ができている。 その行列ができていない時も、俺は氷河のバーには行かずにいる。 危険で美しい、あの異次元。 恋をしている二人の邪魔をしてはならないと思うから。 『この国では、おまえが期待しているようなヤバいことは滅多に起こらない。日本は平和な国なんだ』 俺より はるかに地に着いた生き方をしている、かつての俺の同僚は、俺に そう言っていたが、それはどうだかな。 あんな二人がいる国が平和であるはずがない。 俺たちが気付いていないだけで、何かが起きているんだ、この世界は。 そして、俺たちが気付いていないだけで、誰かに守られているんだ、この世界は――俺たちは。 これまで、危険の中に身を投じ、自分の力で生き延びることで充足感を得てきた俺。 俺は、人より強くなることに喜びを感じる男だった。そんな生き方をしてきた。 俺は、俺自身の充足、充実、満足だけを求めて、これまで生きてきた。 修羅場を踏んで、死線を乗り越え、自分が強くなることで、俺は自分の生に満足を得ていた。 それが、俺の命と人生の価値だと思っていた。 だが、歳を重ねて――もう その充足や充実を得ることはできないと、あとは衰えていくだけなのだと絶望し、俺は 危地から 平和な日本に 打ちしおれて帰ってきた。 もう強くなれない。 あとは衰えるだけ。 そんな俺にはもう、生きる価値はない。 そもそも何を目的に生きていけばいいんだと、自棄になって。 だが、自分が強くなるためじゃなく、誰かを守るために戦うことなら、これからの俺にもできるかもしれない。 俺より非力な者、戦う力を持たない者はいくらでもいる。 小さな命を一つ守ることができたら、それは 素晴らしいことなんじゃないだろうか。 たとえば それが小さな一輪の花でも。 自分の命と人生を、自分一人だけで完結させようとしていたから、俺は俺の生に絶望していたんだ。 そんな生き方をしていたら、誰の生も無意味なものになってしまう。 人間の生は、誰のものも、最後には一つの死で終わるんだから。 俺より はるかに強い力を持つ瞬は、己れの強さを誇ってなどいなかった。 自分一人の強さを誇ってなどいなかった。 『僕は――僕たちは、あなたを守るために、すべての人間を守るために存在する者です』 瞬は、そう言っていた。 自分の強さを自分のために使ってはいない――と。 俺は、強くなることに焦がれて生きてきた男だ。 強い者が好きだし、無条件で尊敬もする。 そして、尊敬する人と同じ生き方をしたいと思うのは、人間の性みたいなものだろう。 瞬は強くて、美しく――。 もしかしたら、そこに瞬がいることがわかっているのに、俺が氷河のバーに足を踏み入れようとしないのは、あの強く美しい瞬に恋されている幸運な男の顔を見るのが癪でならないからなのかもしれない。 Fin.
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