そういう経緯で 氷河の名誉は守られたのだが、 「マーマ、その子、ダレー」 氷河の名誉が守られても、問題は何一つ解決していなかった。 「あ、平尾丸くんっていうんだって。しばらく、家で預かることになった……みたい」 「ヒラオマルクン? コンニチハ、ナターシャだよ! マルちゃんでイイー?」 パパは水瓶座アクエリアスの氷河、マーマは乙女座バルゴの瞬。 ナターシャは、さすがに 滅多なことでは動じない。 見たことのない服を着た見知らぬ男の子が いつのまにか自宅に上がり込んでいることに、ナターシャは、少なくとも 氷河の大声を聞いた時ほどには驚いた様子を見せなかった。 『マルちゃん』にされてしまったことには不満そうだったが、それよりも 自分が今いる世界の面妖さの方が、より強く平尾丸の心を捉えているらしい。 瞬を見、ナターシャを見、室内を興味深げに ひと渡り見回してから、彼は再び その視線をナターシャの上に戻してきた。 「まーまとは何じゃ」 「マーマっていうのは、強くて優しくて綺麗で、ナターシャを守ってくれる人のコトダヨ」 「強くて優しくて綺麗? こんな 痩せっぽちで貧相な女子の、どこが綺麗だというのじゃ」 白い肌、下ぶくれの頬、長い黒髪――が、平安美人の三大要素である。 1200年前の日本では、確かに瞬は美人ではなかった。 「マーマは綺麗ダヨ!」 ナターシャが、即座に 平尾丸の平安的美意識に異議を唱える。 だが、美意識の違いというものは、一朝一夕で埋められるものではない。 なにしろ それは、個々人が独力で培うものではなく、社会と歴史が培うものなのだ。 マーマを『綺麗じゃない』と言われたことに怒ればいいのか 泣けばいいのかが わからず、顔をくしゃくしゃにしているナターシャの頭を撫でて、瞬は平尾丸の前に しゃがみ込んだ。 「平尾丸くんは おなかすいてない? 甘いものは好き?」 平安時代の子供の好物といえば、何といってもプリン(のはず)。 デザートにプリンを出すなら、夕食の準備に入る前に仕込みを済ませておかなければならない。 そう考えて尋ねた瞬への平尾丸の答えは、 「……目は美しいの」 だった。 それは本心からの言葉なのか、面妖な場所で 我が身を守るための譲歩 あるいは 世辞なのか。 後者なら切ないと瞬は思ったのだが、 「マーマは、目だけじゃなく、全部綺麗ダヨー」 というナターシャのクレームに、 「そうか?」 と 真顔で問い返すところを見ると、平尾丸は さすがにそこまでの遠慮や気遣いはしていないようだった。 幼い頃、大人の心を推し量って振舞うことで 兄や仲間を守っていた瞬ほどには。 「そうダヨー。マーマは綺麗だし、お料理も上手。マーマは ご飯も お菓子も すごく可愛く作ってくれるんダヨ! ニンジンはお星サマの形だし、キュウリで お花を作ったり、ダイコンでチョウチョも作れるんだよ!」 ナターシャは、マーマの売り込みに必死である。 その売り込みは、功を奏したようだった。 ナターシャの思惑とは、少々 ずれた方向に。 平尾丸は、この面妖な世界で、自分に食べ物を与えてくれるのはナターシャのマーマなのだということに気付いたらしい。 その重大な事実に気付き、瞬の機嫌を損ねると 自分は飢えることになるかもしれないと、それを案じたようだった。 「ナターシャのマーマは、肌も白くて美しいな。もう少し ふくよかになった方がいいとは思うが――」 「……」 今度は明白に、ご機嫌取りの おべっかだとわかる。 人の肌の美しさを褒める子供など、平安時代でも 普通ではないだろう。 まるで子供らしくない。 取ってつけたような世辞を言う子供らしくない子供を、だが 瞬は、疎ましく思うことも 浅ましいと思うこともできなかったのである。 幼い頃には、瞬も平尾丸と似たようなことをしていたから。 そんなことをしなければならない子供もいるのだ。 平尾丸も、もしかしたら、彼の本来の世界で、大人の機嫌を取らなければ生きていられないような境遇にあったのかもしれない。 大人の顔色を窺い、機嫌を損ねないように『肌も白くて美しい』と世辞を言い、だが『ふくよかになった方がいい』と本音も言わずにいられなくて――言ってしまい、かえって大人たちの不興を買っていたのかもしれない。 平尾丸には、氷河のように不愛想を貫く意地も強さもない。 子供が そんなふうな子供でいることは、子供一人の責任ではないだろう。 瞬は、平尾丸の不器用が切なくなった。 だからというわけではないのだが、その日、瞬は、ケチャップのチキンライスにフルーツサラダ、デザートはホットプディングと、お子様メニュー全開の夕食を作ってやったのである。 平安時代の子供の口に合うのだろうかと、少々 不安ではあったのだが、プディングの効果は さすがに絶大。 平尾丸は、その食事だけで、すっかり瞬に一目置くようになってくれたのだった。 |
※ 平安時代の子供の好物といえば、何といってもプリン : おじゃる丸参照
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