「あの……星矢、紫龍。相談があるんだけど……」 聖バレンタインデーの朝だった。 冬の澄みきった青空が、ラウンジの窓の向こうに広がっている。 星矢と紫龍は、瞬のその言葉を聞くなり、即座に掛けていたソファから腰を浮かした。 もちろん、瞬の声が聞こえなかったふりをして、その場からとんずらするためである。 瞬の相談事。 それは、この二人にとっては鬼門以外の何物でもなかったのだ。 今年の元旦もそうだった。 ただののろけにしてはあまりに激しすぎる相談事を瞬に持ちかけられた星矢と紫龍は、結局松の内が過ぎるまで、そのショックから立ち直ることができなかった。おせちも雑煮も喉を通らない状態で松の内を過ごした彼等は、松が明けた時、なんと体重が5キロも減っていたのである。 それが、ちょうどダイエットに苦心していたアテナの怒りを買い、ちくちくと嫌味を言われ続けること一ヶ月、星矢と紫龍はやっと数日前針のムシロから解放されたばかりだったのだ。 またあんな目に合うくらいなら、いっそポセイドンとハーデスの連合軍に地上を制圧してもらった方がどれほどマシかと思えるほど、アテナの嫌味は強力無比だった。 「あのね…バレンタインデーのプレゼントのことなんだけど……」 そんな星矢と紫龍の苦悩煩悶も知らず、瞬は、純白の待雪草の花びらのような瞼も伏せがちに、恥じらうような口調で、恐怖の"相談事"を口の端にのぼらせようとする。 星矢と紫龍は、セイレーンの歌声を聞くまいとするオデュッセウスのごとく、超光速を更に超える速さで、自分の両耳を手でふさいだ。 「あー、おまえにプレゼントされるのなら、氷河は何だって喜ぶだろう。悩むことは何もないぞ、瞬」 「そーそー。紫龍の言う通り。じゃなっ!」 と、それだけ言って、二人はそそくさとその場を立ち去ろうとした。 どこから何をどう見ても、仲間の相談事を聞くまいとしているのがあからさまな二人の態度に、瞬の眉がつりあがる。 「星矢〜〜! 紫龍〜〜っっ!!」 もう少しでラウンジのドアに辿り着く――ところまで行っていた星矢と紫龍は、冥界の最底辺から立ちのぼってくるような瞬の声に、ぴきーん☆と全身を凍りつかせた。 精神の安寧を守るため、このまま瞬の相談事から逃げ出して、瞬の生身の拳で身体をズタボロにされるのと、五体満足でいるために精神の安寧を犠牲にするのとでは、どちらの方がダメージが少ないのだろう? と考える余裕すら彼等には与えられなかった。 「はい、なんでしょう……;;」 嫌々ながら振り返り、二人はほとんど泣き声で瞬にお伺いをたてた。 瞬は、しかし、二人に負けじとばかりに瞳を潤ませ、切なげな表情で星矢と紫龍に訴えてくる。 「……どうしてそんなに投げやりなの…。バレンタインデーなんて、年に一度の大切な大イベントなんだよ。何だって喜んでくれるから何でもいいなんて、そんなことあるはずないじゃない……」 瞬の頬を転がり落ちる水晶の雫のような涙を見せられて、星矢と紫龍は目一杯慌ててしまった。 こんなところを氷河に見られたら、あの問答無用男にどんな目に合わされるかわかったものではない。 「しゅ…瞬、泣きやめっっ! すまん、俺たちが悪かったっ! 何もかもみんな俺たちが悪い! 許してくれっっ!!!!」 「ばっ…バレンタインのプレゼントなっ! そーだよなー、大事だよなー、なーにがいいんだろうなー(しくしく)」 アンドロメダの聖闘士の前に平伏した龍座と天馬座の聖闘士を見やり、瞬はぴたっと涙をとめた。涙の雫の残った瞼で二、三度瞬きをし、汚れを知らぬ白百合のごとき微笑を浮かべる。 「やだな、星矢も紫龍も。まるで僕が二人をいじめてるみたい」 これがいじめでなくて何なんだ! という言葉を、星矢と紫龍は、もちろんごくりと喉の奥に押しやった。 「僕、ほんとに、ちょっと星矢や紫龍にききたいだけなんだよ。星矢や紫龍は毎年、美穂ちゃんとかシャイナさんとか沙織さんとか春麗さんとかにバレンタインのプレゼント貰ってるでしょ? どんなもの貰ってるのか、僕に教えてくれない?」 「へ……?」 そんな簡単なことに答えるだけで、本当に瞬の相談事は終わるのか? と、二人の聖闘士は訝った。これまでの辛い経験が、『これで終わるはずがないだろう、ばーか』と、微妙な響きの警鐘を二人の胸で鳴らしている。 星矢は、恐る恐る瞬に探りを入れてみた。 「そ…そんなこと、なんで俺たちにきくんだよ? 瞬だって、毎年カメレオンのねーちゃんにプレゼント貰ってるじゃん」 「そーいえば、あの氷河でさえ、毎年絵梨衣ちゃんに……」 ――と、そこまで言って、星矢と紫龍は合点した――合点した気になった。 そうなのである。 瞬と氷河には、それぞれジュネと絵梨衣という、超強力なフリークがついていたのだ。彼女たちが氷河と瞬のことを知ったら、それこそ目も当てられない地獄絵図が地上に展開されることになるだろう。これには、さすがの瞬も危機感を抱かずにはいられまい。 ジュネと絵梨衣――どちらも氷河と瞬の前では猫をかぶっているが、彼女等が切れたらどれほど恐ろしい女傑に変貌するかを、星矢と紫龍はよく知っていた。 実に、これは、下手をすると世界の崩壊さえ招きかねない大大大問題である。 悲惨この上ない修羅場を想像して、星矢と紫龍はぞーっと背筋を凍りつかせたのだが、瞬の表情には深刻さはまるで混じっていなかった。その笑顔は、相変わらずピンクの桜草のごとく可憐で清純で屈託がない。 「ジュネさんがくれるのは、毎年ホールのチョコレートケーキなんだ。僕、甘党だから♪ 今年は特大のを贈ってくれるんだって。先週会った時に、ジュネさん、言ってたよ」 「え? だって、おまえ、氷河と……」 『デキちまったんだろ』と口にするのを、さすがに星矢ははばかった。大雑把B型の星矢は、しかし、こういうところは意外にシャイだったりするのである。 そして、神経細やかA型の瞬の方が、大らかすぎるほど大らかだったりするのだ。 瞬はにこにこしながら、 「ジュネさん、とっても機嫌がよかったよ。僕、最近氷河と仲いいんだよって言ったらねぇ」 カメレオン座の女聖闘士は、瞬の頭を撫でくりかえしながら、 『こーんなに可愛いアタシの瞬が、男に目をつけられないなんておかしいと思ってたんだ。そーかい、そーかい。あの金髪のにーちゃんね。うんうん、綺麗な一対だ。嬉しいねー。今年のバレンタインはどう過ごすんだい? どんなふうに過ごしたか、ちゃんとアタシに報告するんだよ?』 ――と言ったのだそうだ。 星矢と紫龍は、ただ唖然――である。 「絵梨衣さんもね、喜んでたよ。僕、こないだ氷河と一緒に星の子学園に行ったんだけど…」 かの争いの女神エリスの分身の少女は、頬を紅潮させ、 『きゃーっ、いやーっ、素敵―っ! 氷河さんと瞬くんがそうなのーっっ!!?? やだやだ、すごーい、きれーい、お似合―い! ねっ、ねっ、私、今、そーゆーののホームページ作ってるのぉ。そのうち、インタビューに行くわっ。バレンタインの報告とか聞きたいわっっ!!!!』 と、狂喜乱舞したのだそうだった。 星矢と紫龍は、ひたすら呆然――である。 「あ……さいでっか……」 さすがは氷河と瞬に惚れている女性陣、普通の物差しで計れるようなタマではない。 開いた口がふさがらないでいる星矢と紫龍の前に、二人の唖然呆然状態に気付いた様子もない瞬が、相談事を展開していく。 「だからね。僕と氷河、ジュネさんと絵梨衣さんに報告できるような何かをしなくちゃならないんだ。二人にはいつもお世話になってるから、期待を裏切りたくないんだよ」 「…………」 「…………」 「でもね。僕と氷河、バレンタインデーだからって、そんな特別なことは…。だって、僕たち、一緒にいられれば、それだけで嬉しいし、せめてプレゼント交換だけでもって思ったんだけど、何をプレゼントすればいいのか思いつかなくて……」 「…………」 「…………」 そこまで言って、瞬は、星矢と紫龍をちらりと上目遣いに見やった。 薄紅色のスイトピーの花のように恥じらう瞬の様子には、いい加減惑わされなくなっていた星矢と紫龍は、まだ、瞬の相談事がこれで済むはずがないという猜疑心を打ち消せない。 とりあえず星矢は、極々一般的な助言をかましてみることにした。 「チ…チョコレートでも交換しあえば?」 「あ、それ、だめ。氷河、甘いもの嫌いなんだって。僕以外は」 「う……」 それは確かに、瞬は氷河にとっては激甘シュガーエンジェルだろう(ハナさん、すみませーん) 罪のない笑顔の瞬の返答にめげてしまった星矢の横で、紫龍は突然あることに気付いた。それは瞬の相談事のお約束ではあったのだが、もう一人の当事者――つまり、氷河がこの場にいない――という許されざる事実である。 「瞬。氷河はどうしたんだ? また廊下に追い出したのか? 今回の相談は別に氷河に聞かれて困るようなことじゃないだろう」 紫龍の当然至極な疑問に力を得て、星矢も少し浮上する。 「そーいや、そーだ。バレンタインデーのプレゼントって、おまえら二人のことだろ? 俺たちに相談するより、おまえら二人で考えればいいことじゃんか!」 暗に、第三者を巻き込むなという非難を込めて、星矢は瞬に訴えた。 が、そんなことを言われても、瞬には瞬の事情というものがあったのである。 「考えたんだよ、二人で、夕べ、ちゃんと。でも、僕が欲しいのは……」 白い待雪草が、ぽっと薄桃色の桜になる。 「あの……ほら…だから…つまり……」 恥ずかしそうに言い澱む瞬の様子を見せられて、星矢は思いきり顔を歪めた。 瞬の代わりに、 「……氷河だけだ…ってか?」 と、心底嫌そうに言う。 瞬は更に更に頬を上気させ、小さくこくんと頷いた。 「そ…そゆこと。夕べ、二人で考えてる時に、ついうっかりそう思っちゃったらね、氷河、優しいから……」 瞬はますます恥じらって、瞼を伏せてしまう。 (そ…その先は言わんでくれ〜〜〜っっっ!!!!!!!) 星矢と紫龍の心の叫びは、無論、瞬の耳には届かない。 清らかこの上ない瞬は、実に無邪気に"その先"を口にした。 「氷河をいっぱいくれたの。で、気がついたら朝になっちゃってて……」 『てへ♪』と小さく舌を出し、自分たちの失敗を披露する瞬のおかげで、星矢と紫龍はまたしても『人生はやっぱり甘くない』という得難い教訓を得ることができてしまったのである。 人生は辛い。あまりにも苦しい。人生は苦難の連続なのだ。 要するに瞬は、また昨夜のような事態になることを怖れて、氷河を廊下に追い出している――ということなのだろう。それは確かに賢明な処置である。 賢明な処置ではあるが、しかし――。 (俺たちを巻き込まないでくれ〜〜〜っっっ!!!!!!) 星矢と紫龍がそう思ったとしても、それは彼等の友情が薄っぺらなものだということにはならないだろう。日本国民には、なにしろ、自分の身の安全を守る権利が憲法で保障されているのだ。 「し…しかしなぁ、瞬。やはり、俺や星矢のような一般人には、おまえたちのように特殊すぎるカップルへの助言など到底……」 ともかく、これ以上のダメージを受ける前にこの場を逃げ出そうという魂胆も見え見えに、紫龍は瞬説得を試みた――試みようとした。 が、紫龍の悲痛なその訴えは、突然ラウンジに乱入してきたけたたましい喚声に、か弱く吹き飛ばされてしまったのである。 「しゅーん! ハッピーバレンタイーン!!!!」 「やだわ、やだわ、瞬くんってば、氷河さんを廊下に追い出したりなんかして! 一緒にいてくれなきゃ、興醒めよお〜〜〜っっっ!!!!」 騒ぎの元は、カメレオン座の女聖闘士と、争いの女神の使徒。 二人はそれぞれ右の手と左の手に大きなプレゼントを抱え、残る左手と右手で白鳥座の聖闘士の腕を掴みあげていた。 本来なら瞬の目の命令には絶対服従の氷河も、少しでも瞬の側に近づけるのならと、二人に引っぱられるままである。 「瞬、これ、アタシからのチョコレートケーキだよ!」 「はい、氷河さん。これは私から、ノイハウスのトリュフセットなのぉ」 押し付けられた特大プレゼントを、瞬は戸惑いつつもにっこり笑って受け取ったが、氷河の方はプレゼントを受け取るために指一本動かそうともしない。それを見て慌てた瞬が、その目で『受け取って』命令を発し、氷河はリモコンロボットのような動作でその命令に従った。 氷河にプレゼントを受け取ってもらえたのは今年が初めてだった絵梨衣は、無表情な受取人とは対照的に、冬のオリオンのように瞳を輝かせたのである。 「でっ? でっ? 二人のバレンタインの報告してっ!?」 幸せいっぱい夢いっぱいの絵梨衣に、しかし、氷河と瞬には報告できるネタがない。 なにしろ、今は朝の9時。バレンタインデーは始まったばかりな上、これから今日をどう過ごすかの計画さえ、氷河と瞬はまだ立てていなかったのだ。 「あ、もしかして、これからデートかい? どこのレストランに行くつもりなんだい?」 「ホテルはどこ予約してあるのーっ? きゃーっ、きいちゃったーっっ!!」 恐るべきテンションで盛り上がっている二人の迫力に押され、星矢と紫龍がずざざざざーっっと壁際に退く。 そして、瞬はといえば、らんらんと邪な期待に瞳を輝かせている二人の少女の前で弱り果てていた。 期待には応えたいのである。彼女たちの期待に応えるのは自分の義務だと、瞬は何の疑いもなく思い込んでいた。 だが、しかし――。 (ど…どうしよう……氷河…) 彼女たちに報告できるような何事も成し遂げていない我が身の不甲斐なさを嘆きつつ、瞬は氷河にすがるような視線を向けた。これまで、どんな苦境も、この一瞥ひとつで氷河は全てを解決し、瞬に安らぎと満足(?)をもたらしてくれていたのである。これまでとはかなり苦境の種類が違うが、それでも氷河ならもしかして――と、瞬は藁にもすがる思いだった。 そんな氷河と瞬の視線のやりとりを眺め、半分壁にのめりこみ状態の星矢と紫龍は、全身を緊張させつつも、 (『この場をどうにかしてくれ』なんて具体性に欠ける命令は、氷河には無効だろーなー) などと、案外冷静な判断を下していたのである。 氷河は瞬の命令に盲目的に従うことに生き甲斐を感じているのであって、自分で問題解決方法を考えるなどという普通の人間のような真似が氷河にできるはずがない――というのが、星矢と紫龍の統一見解だった。 しかし、それは、愛の力の偉大さを知らない星矢と紫龍の愚かな推察でもあった。 本能ではなく理性と感情で他者を愛することが可能か否かということが、人と動物を画する最大の要素なのである。その点、氷河は、(信じられないことではあるが)人間以外の何物でもなかったのだ。 「ちょっと待っていろ」 彼は本日の第一声を瞬に投げ、足早にラウンジを出ていったかと思うと、すぐまた彼の熱愛する恋人の許に戻ってきた。 手に、一冊のハードカバーを掴んで。 「???」 クエスチョンマークを飛ばしているジュネと絵梨衣の前に、氷河が、その本のとあるページを指し示す。二人のミーハー少女は、額をくっつけ合いながら、氷河に示されたページの文章をハモるように読み上げた。 「『指輪や宝石は、贈り物ではなくて、贈り物がない時の言い訳である。本当の贈り物たりえるものは、自分自身の一部だけなのだ。かくて、詩人は詩を羊飼いは羊を、農夫は穀物を、鉱夫は宝石を、水夫は珊瑚と貝を、画家は絵を、そして、少女は手作りのハンカチを贈るのである』……???」 いったい氷河が何を言いたくてこんなモノを持ち出してきたのか測りかねている二人の少女に、氷河は本日の第二声を発した。 「これから俺は俺の一部を瞬に贈る」 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 4種類の絶句は、上から順にジュネ、絵梨衣、星矢、紫龍。 画面で見れば全く同じ点々の羅列だが、上の二つと下の二つの沈黙の含むニュアンスが違うことは、賢明なネット諸嬢にはおわかりのことと思う。 上の二つの絶句は、10秒後、城戸邸をも破壊しかねない、けたたましくもまっ黄色の歓声に変化した。 「きゃ〜〜〜〜〜〜っっっっっ!!!!!!!!!!!」 綺麗に重なりすぎて1行でしか記述できない歓声が、ラウンジいっぱいに響き渡る。 ジュネと絵梨衣は、欣喜雀躍、狂喜乱舞、感慨無量で手を取り合い、その場でぴょんぴょん飛び跳ねて、その感動と感激を全身全霊で表現し始めた。 「いやん、いやん、素敵―っ! やだわ、やだわ、お邪魔しちゃってごめんなさいーっ! もう、もう、もう、もう、私たちすぐ退散するわーっっ!!!!」 と、絵梨衣は目に涙を浮かべて喜びまくり、 「この野郎、しゃれたバレンタインのプランじゃねーか。おい、キグナス! アタシの可愛い瞬、泣かせたら承知しないよ!」 ジュネはジュネで、脅迫の言葉にも喜色が混じっている。 ジュネに拳を突きつけられても、氷河は無表情だった。 「瞬は毎晩よく鳴く」 無表情で↑こーゆーセリフを言うから、氷河はムッツリス○ベと言われるのである。が、ジュネは、氷河の↑このセリフを、実に好意的に受け止めたらしい。嬉しそうに頬を上気させ、彼女はこくこく頷いて拳を引いた。 「この色男! そーかい、そーかい、そりゃ良かった」 何がいいのか教えてくれ〜〜〜〜っっ!! と胸中死ぬ思いで叫んでいる星矢と紫龍の姿など、無論、ジュネの視界には入っていない。 彼女は、彼女の可愛い瞬の髪をくしゃくしゃにかき乱すと、 「ああ、じゃあ、アタシたちは退散するよ。瞬、キグナスにたっぷり可愛がってもらいな」 と、満面の笑みをたたえて瞬を激励(?)した。 瞬がそのジュネに向かって、 「はい。ジュネさん」 と、幼稚園年少組の優等生のごとく、素直な良い子のお返事をする。 瞬の良い子のお返事を聞かされて、星矢と紫龍はなお一層退くことになり、その弾みでラウンジの壁は崩壊、二人は瓦礫の下の住人になった。 浮かれた足取りでラウンジを出ていくジュネと絵梨衣を瓦礫の下から見送る星矢と紫龍は、鳳凰幻魔拳がなんぼのもんじゃ状態で、その精神は崩壊寸前だった。その証拠に、彼等は、 (お…おかしいのは、むしろ俺たちの方なのか……???) と、崩れ落ちた壁の下で悩み始めてしまったのである。 その二人の前で、更に追い討ちをかけるような場面が展開される。 どうにも収集がつくまいと思われた苦境を見事に切り抜けた氷河に、瞬が感謝と尊敬(!)の念に満ち満ちた眼差しを向け、瓦礫の下の二人の前でいちゃつき出したのだ。 「氷河、今、僕が何考えてるかわかる?」 色づき始めたひなぎくのような微笑を向けられても、相変わらず氷河は無表情だったが、その瞳がどれほど輝いているのかは、瓦礫の下の星矢と紫龍には確認するまでもなくわかっていた。 「『ありがとう、氷河』」 「うん、ほんとにありがとう。僕、どうしたらいいのか、全然わからなかったもの」 「『氷河のプレゼントが早く欲しい』」 「え?」 一瞬、そんなことはまだ考えていなかったはずなのに……と戸惑った瞬は、しかし、すぐ、それはどうせ間もなく考え始めるはずのことだったのだと思い直した。 「やだ、氷河。そんなこと、星矢や紫龍のいるとこで言っちゃ駄目なんだよ」 目許をほんのりピンク色に染め、恥ずかしそうに氷河をたしなめる瞬に、たしなめられた男は素直に頷き返した。 瞬しか視界に入っていない男に、"星矢と紫龍のいるところ"とそうでないところの区別がつくのかどうかは非常に怪しいものがある。だが、氷河は自分の頼みなら一見不可能そうなことも必ず叶えてくれるのだと信じ込んでしまった瞬に、氷河の判断力を疑うことなどできようはずがない。 「あ、じゃ、そういうことだから、星矢、紫龍、またあとでね♪」 そして、瞬は、星矢と紫龍が瓦礫の下にいることにも何の疑問も持たなかったらしい。『どうしたの?』の一言も『大丈夫?』の気遣いもなく、彼は氷河に促されるまま、哀れな仲間を振り返りもせず嬉しそうに、とことことラウンジを出ていってしまったのである。 夕べも朝まで××だったんだろーがーっっ!!!! と突っ込む力は、星矢と紫龍には残ってはいなかった。アテナの聖闘士にも、体力と精神力の限界はあるのである。であるからして、星矢と紫龍は、その日の夕方、氷河と瞬が再びラウンジに姿を現すまで、瓦礫の下の住人を続けることになってしまったのだった。 「やだ、信じられない。星矢も紫龍もあれからずっとここに埋まってたのおー!?」 呆れ果てたような瞬の言葉に、何事かを言い返す力も、天馬座と龍星座の聖闘士には全く残っていなかったそうである。 Fin and Happy Valentines Day !
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