終戦から10年後、『昭和35年経済白書』は、国内のGNPが戦前のそれを上回る水準にまで回復したとして、『戦後は終わった、もう戦後ではない』と高らかに宣言した。
それから、更に15年。
日本は、今、高度経済成長期のただ中にいる。

この25年の間に、一度は焼け野原になった東京は見事に復興を遂げた。
人々の生活は豊かになり、その思想は民主的合理的になり、全体主義が急速に廃れるに従い、集団よりも個が重んじられるようになった。

その村は、だが、外界のそんな変化など何も知らぬげに、薄墨色に染まり始めた空の下にひっそりと佇んでいた。
村落を形成している質素な家々のほとんどは、おそらく江戸時代からのものなのだろう。
板葺いたぶきの家がほとんどだった。
村の中心から少し離れたところにある公民館のような建物だけが、妙に大きく広く、そして真新しい。
築城成ったばかりの壮麗な城の足元に、100軒足らずの人足小屋が片付けられることなく打ち捨てられている── 村を一望した際の氷河の印象はそんなものだった。

時間の流れから取り残されたようなこの村も、しかし、戦時中には外界と無関係ではいられなかった。
氷河の父は、この村で召集令状を受け取った。
満州に向かう部隊に配属され、そこで終戦を迎えたが、シベリア捕虜収容所に収監され、ソ連の戦後経済復興のための強制労働に従事させられる。
氷河の父は、いわゆるシベリア抑留の犠牲者だった。

とはいえ、彼は、遠い異国の地で知り合った娘──氷河の母──と家庭を持ち、復員が許可されてからも、しばらくはその地に留まっていたらしい。
妻を病で亡くしてから、彼は、妻と同じ色の髪をした一人息子を連れて、故国に戻った。
しかし、彼は故郷の村には帰らず、東京で小さな工務店をおこし、収まりかけていた戦後の混乱と高度経済成長に後押しされて、その店を一大企業に成長させたのである。

その父が、昨年の暮れに亡くなった。
まだ50にもなっていなかった。

頼れる友も親族もない東京でのしあがるために、彼は、法律には触れなくても、非人道的といえるようなことを幾度も繰り返してきたのだろう。
自分の過去の行状を悔やみ、自分が利用し陥れてきた者たちの影に怯え──病床での彼は“死”を──というより、死後の自分を──怖れているようだった。

死の数日前に、彼は氷河を枕元に呼びつけ、奇妙なことを言った。
「私は、私の人生を夢中で生きてきた。苦労も多かったし、理不尽な仕打ちも経験したが、どうにか人に羨まれるほどの財を築くこともできた。おまえは出来のいい息子だし、死んだ後のことに不安はない。だが、私の一生は幸せだったのかと問われれば、そうだと答える自信もない」
癌の進行は、氷河の父から体力を奪っていたが、彼の意識ははっきりしているようだった。

「私は、もう一つの生き方を生きることもできた。今になって、自分が選び生きてきた道が正しかったのかどうかを、私は迷い始めている。私は、自分が傷付いたのと同じくらい、他人を傷付けてきた。私は罪をたくさん抱えたまま死ななければならない。私は──」
残された体力が少ないことはわかっているのだろうが、残された時間が短いことの方が、彼を焦らせているらしい。
「私はそれでもいい。だが、おまえには、死の直前になってこんな迷いを生ずるような生き方をしてほしくないんだ」

一気に言葉を吐き出してから、彼は彼の遺言を口にした。
「私が死んだら、私の故郷の村に行け。そして、そこで、おまえはおまえの生き方を選ぶんだ」
──と。





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