その夜、“彼”が宣言していた通り、“氷河”は再び瞬の部屋にやってきた。
既に瞬は、自分が彼の脅迫に屈するしかないことを知っていた。
氷河のあの眼差しを曇らせることはできないし、あの瞳に見詰めてもらえなくなる自分など考えたくもない。
“瞬”が氷河を好きでいる限り、氷河に愛され求められていることを望む限り、“瞬”は“彼”の手から逃れられないのだ。
それでも――。
「いやだ……いや……」
彼に命じられ、自らの手で着衣を取り除き、彼に命じられるまま、寝台に身体を横たえたというのに、彼の重みをその身に感じた途端、瞬は“氷河”の身体を自分の上から押しのけようとしていた。

「何が不満だ。この顔、この身体、おまえがずっと欲しがっていたものだろう」
そんな瞬を見おろし、彼がわざと心外そうな顔を作る。
昨夜とは違って、瞬の部屋は今夜は すべての照明のスイッチが入り、室内は真昼よりも光であふれていた。
瞬が目を開けると、そこにあるのは確かに氷河の顔であり、氷河の身体だった。

「今すぐ、ここに氷河の意識を呼んでやってもいいのだぞ」
では、彼は、氷河の意識の顕在と潜在を自在に操ることができるのだ。
彼の揶揄するような言葉に瞬は怯え、彼を押しやろうとしていた瞬の腕からは自然に力が抜けていった。
「知られたくないのだろう?」
瞬に、他に何ができただろう。――諦めて、目を閉じること以外に。

目を閉じても、彼の唇が皮肉な笑みを作ったことがわかる。
それだけでも屈辱この上ないことだというのに、彼は氷河の姿を見まいとして目を閉じた瞬の耳許に、氷河の声で囁いてくるのだ。
「瞬、愛してるぞ」
いったい“氷河”はどんな顔で――あの青い瞳をどんな色に変えて――そんな残酷な言葉を口にしているのか――。
そう思った途端に、瞬はそれ以上 気を張っていることができなくなり、喉の奥が熱くなり――嗚咽のかけらを唇から吐き出した。
その唇に、“氷河”の唇が重ねられる。
そして、瞬の五感を煽る愛撫が始まり、瞬は耐え切れずに泣き出した。

自分の肌に触れている指や唇が氷河のものなのだと思うと、瞬はたまらなかった。
切ないのか、苦しいのか、悲しいのか、嬉しいのか、あるいは そのすべてなのか――瞬自身にもわからない感情が、嫌悪に勝って瞬の身体と心を支配し始める。
瞬は、氷河が好きだった。
なぜこんなにと不思議に思うほど、瞬は氷河が好きだった。
彼に見詰められていることを意識するたび、彼に求められていることを意識するたび、瞬の胸は騒いだ。
その眼差しが雄弁に語ることを、彼が一向に言葉にも行動にも移さないことに 焦れてさえいた。
“彼”が本当に氷河だったなら、氷河もこんなふうに――指先まで、髪の先まで 何もかも全部が自分のものだと宣言するような愛撫を“瞬”に与えるのだろうかと考えるだけで、身体の奥に火がともる。

「氷河……氷河……!」
これ・・は氷河なのだと思っていなければ、受け入れられない。
しかし、“氷河”なのなら、いくらでも欲しい。
自分の心を守るために、瞬は自ら意図して錯覚した。
繰り返し繰り返し氷河の名を呼ぶことで、瞬は“彼”に犯されることに歓喜することができた。





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